ニコ百のクラスター爆弾事件より

動機
五味は何度も戦場に足を運んだことがあったが、記念品を持ち帰ろうとしたのはこれが初めてだったという[5]。
五味はイラク戦争が自身の一生の仕事の中でとても重要なものだと認識しており、その「証し」「記念」として持っておきたいと考えたという。
また、同じものを助手と2人で持ったことで「証し」という認識が強くなったとも話している[6]。

拾得物を「自分の家に置いておけば、(戦争の現場を)いつまでも忘れないだろう」と考えており、「「こういうところで、おれは仕事していたんだぞ」ということを、
自分の子供が大きくなった時に見せたいという意識も、正直言ってありました」とも語っている[7]。

写真部の記者でありながら「写真の力をあまり信じていない」「写真というものは、「自分」というフィルターを通った「事実」でしかない」と話しており、
そのため手に取れるものを「証し」にしようとしたという[8]。