>>139

4月中旬、幾度に渡る攻撃と多大な犠牲の後、ガレージを制圧した。

その翌日、ウクライナ軍の戦車が窪地から現れ、あっけなくガレージを瓦礫の山に変えた。
その戦車は全く被害を受けずに仕事をこなしていった。
我々の隣にあった9階建てのマンションを2両のウクライナ軍戦車が淡々と念入りにバラバラにしていった。
俺たちの砲兵隊はその時一体全体どこにいたと言うんだ?

Zarya工場の数回の爆発の爆風はこちらにも届いた。俺はどちらの爆発の時も9階建てのマンションにいた。
強力な爆風の"到来"を感じた - マンションの鉄製のドアが簡単に吹き飛んだ。工場と俺達が5キロ離れていてそうなのだから、
工場の跡地は月面状態になっているだろう。爆発の勢いは爆薬数十トン分、あるいはそれ以上だ。

これらの事はすべて空軍が仕事をすれば回避できた。だがPasechnik(*LNR首班)は"我らの独力で進める"と言った。
その結果、我々は人々を屠殺場へ放り込むことになったのだ。

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https://www.youtube.com/watch?v=c1gs2cQ9lhg
(参考)同じ戦いに参加したウクライナ兵のインタビュー