●宮崎少将の発言

いまでも不思議に思っていることは、一個連隊を私が指揮し、二個連隊を師団長が指揮している。
後続の先頭連隊をもらって私は喜んだが、師団としてやるべきことではない。
普通であったら、師団長がコヒマへとんできて、よし、戦況がこうならば
一三八連隊はどこで使うということを決めて、命令すべきだと思う。
それが、どういう命令であるべきかというと「速やかにディマプールへ突進せよ」であった。

見ていると、第一三八連隊は二日間も動かない。
私はこれを見てこの連隊を師団へ返納するという電報を打った。
私は加藤師団参謀長を電話へ呼び出して「そういう連隊はいらんから返納する」と言ったら
加藤参謀長が非常に困りまして、師団長と相談して、しばらくして電話してきて、
師団命令通り第一三八連隊を指揮せよと言ってきた。

それでも連隊はなかなか動かない。
私は業を煮やしていたが、三日か四日経って動き出した。
しかし、その時はもう時期が遅かった。

『インパール作戦―ビルマ方面軍第十五軍敗因の真相』大田 嘉弘 P288