>>7
21号作戦に反対したのは当時師団長のムッチー。
ウ号作戦(牟田口がやらかした実際のインパール作戦ではなく南方軍や師団長がやるつもりだった方)でさえ、
43年五月:稲田正純南方軍総参謀副長などはあくまで限定的かつ慎重な作戦を採るべきという方針だった。

翌六月にムッチー必勝の策を以てのビルマ方面軍司令部で行われた兵棋演習:
第15軍の主張する軍主力がアラカン山系の山岳地帯を一気に越えてインパールを電撃攻略し、さらにはアッサム地方へ進撃するという計画は兵站の点から問題視され…

15軍軍団長に昇進したムッチーですが、このように提示した作戦の方はアッサム進撃まで含めていた21号作戦のまんまですね。
アッサムに対しては河辺まで反対した=つまり提案したのは事実。

その席では「補給の事言うとインパールさえ無理」ともっと手前に防御線を引く話まで出る有様。
これが妨害工作でもなんでもなく兵理上正しかったのは史実が証明しちゃったわけですが。

で、その時の見通しがジンギスカンがきちんと成功していても1か月の遅延が限度と主張してるけど、実際には半分は川に流され残りも山道から転げ落ちてる訳で。
それで佐藤がブチ切れる以前に、山内が赤痢って時点でもう15軍はダメですよ。
(赤痢ってのは飲み食いに気を使ってれば掛かる病気じゃない。要するに師団長に対してさえ衛生面を保証できない補給状態なんだから、その師団が敵に遭遇するまで歩いたってもう戦争どころじゃないのです。