ちなみに54師団の師団長になってからの宮崎繁三郎もいただけない
ラムリー島の戦いでは、上級司令部の桜井28軍司令官がアラカン撤退してペグー山系へ向かっていたのに
いつまでもラムリー島を撤退せずに、英軍に上陸され惨敗
イラワジ川の渡河もやたら遅れたせいで、英軍に対岸まで布陣されて、渡河を襲撃にさらされながら行わなければならない羽目になった
宮崎繁三郎が選んだカマの渡河点も三方に的にさらされどうにも適切とは言えず
10日の戦闘で1400人も戦死し70人もの大量の捕虜を出している