シッタン作戦でも、宮崎繁三郎の54師団が遅れに遅れたせいで、28軍全体が食料がなくなり大量に餓死
シッタン川渡河も雨季の最盛期に行わざるを得なくなり死者は益々増える
さらに作戦文書を敵に奪われて、出撃日と場所がダダ漏れになったせいで、敵の砲撃が正確かつ強力で、54師団が一番損害が多かった。
16000人の師団が、3000人にまで減ってるというヤバさ。
そして兵士がこれほど無惨な死亡率なのに、宮崎繁三郎はじめ師団司令部は皆きっちり生き残っているという