★白骨街道は佐藤師団のせい

飢餓と白骨街道と呼ばれたインパール作戦の悲惨な撤退は、15師団だけで起った状況である。
そしてその苦難を味わった当の15師団関係者は皆、そうなった要因と批判を牟田口に対してではなく
ましてや宮崎に対してでもなく(宮崎を高く評価している)、佐藤に対してに向けているのである。
佐藤師団を軍規不在の下品な野盗師団だと罵倒に近い批判をしている。

下記は松村連隊長の回想録と、15師団を事実上指揮していた岡田15師団参謀長の加筆も紹介し
15師団の見解は、悪いのは佐藤だという意見で一致している。
デタラメを宣伝した『抗命―インパール 2』 高木 俊朗に対し、真実はこうだと訴える対抗意識が見られる。
その一部抜粋

『二つの河の戦い―歩兵第六十聯隊の記録 ビルマ篇』
「抗命部隊」  第二大隊砲小隊 桑原真一

『6月下旬、私は師団輜重連隊の本部と行動をともにしていた。
宿営地のそばのフミネ方面に通ずる道路をガヤガヤと大勢が通る足音に目覚め、天幕外に飛び出して驚いた。
見ると松明をかざした野盗に見まごう一団が歩いている。』

『その後、輜重連隊にも転進命令が下り、フミネに到着したが、そこには一粒の米も無かった。
耳に入ったのは6月下旬に烈の兵隊の襲撃を受け、否応無しに少ない糧秣を奪われたという情報であった。