調べたが牟田口や木下などの手記にも
いつ作戦中止命令だと認識したのか記載がない

だから話が矛盾している
だれかが嘘を言っている。

牟田口は6月の河辺とのやり取りで、もはや作戦中止と撤退は無いと認識し、
それでスッキリ吹っ切れて、玉砕覚悟をしたと言っている。

そして牟田口は、7月3日と5日の河辺からの打電を受けて
その意に沿ったものとして、バレル攻撃、インパール攻撃を命令したと
言っている。
牟田口が作戦中止命令を本当に受けたなら、その意に沿ってないし、こんな攻勢命令を出すわけが無い

戦史行書では確かに、河辺は作戦中止命令を出し、牟田口は作戦中止命令を受けた
となっているが、やはりこれが本当かどうか不明で怪しい。

結局は、戦史行書のこの部分を、信じるか?、信じないか?
そうとしか言えんわな

どっちにも確かな証拠がない
だれかが嘘を言っているのは確実だが、おれはそれが牟田口だとは考えられんな