ベレンコのMiG-25はソ連が早う返せと煩かったんで、バラしたまま大物は木枠と布で囲っただけ、小物は40程の木箱に収められて百里から最寄りの日立港に運ばれ
ロシアの貨物船タイゴノス号に積み込まれた
積み込みの前に行われたソ連側のチェックでは飛行状況等の記録用フィルム他、20近い部品が不足していると指摘されたが、日本側は外交的慣例に則り、
最初から無かった、見ていない、付いていた証拠は?等と回答、ソ連側は遺憾の意を表明しつつ港を離れた
その後、ベレンコのMiG-25は再組立されて、現在はニジニーノブゴロドのスホーイの工場敷地に展示されているらしい