>>533
よく戦前日本海軍は艦隊派と条約派で分かれていたといわれるが「艦隊派」とは実質的に「東郷派」である
 田中宏巳・防衛大学校名誉教授

そこで艦隊派代表の東郷平八郎元帥の主張を一通り見てみる。ちょっと長くなるが

1921年 ワシントン第一回軍縮会議
「緊張充実した演習等をなさしむること・・・その他は航空隊、潜水艦に力を致すことなり」(締結後、東郷)

1927年 ジュネーブ第二回軍縮会議
 フランスとイタリアは不参加。日米英の三ヶ国のみ。米英で意見が衝突、無期休会

1930年 ロンドン第三回軍縮会議
 「七割の協定案・・・此の協定成らざれば、断々乎破棄の外なきものとす」(会議前の東郷の所信)

 4月22日 条約署名

 7月21日 軍事参議官会議 
 ・ 現存艦艇の兵力向上、制限外艦艇の充実
 ・ 航空兵力の整備充実
 ・ 防御施設、演習強化
これらは実質的に東郷元帥ら艦隊派の要望。政府は軍備増強を確約。大規模軍拡開始

1934年 日本の軍事費は国家予算の四割以上を占める

東郷元帥はワシントン会議までは許容範囲。訓練・補助艦艇・航空機・潜水艦等で対応可能なため
しかし補助艦艇まで制限されるロンドン会議は絶対反対(その後、海軍は無理して小型艦を建造して大事故続発)

東郷元帥らの意見が政府を動かし軍事費増強。これにより戦艦の近代化・海軍航空隊の充実などが進む
歴史的に見ると開戦前のギリギリのタイミングではあるが近代化が間に合った

東郷元帥ら艦隊派が政府を動かさなかったら、イギリス海軍みたいに三脚楼戦艦や複葉機でアメリカと戦う羽目に陥る可能性も有りえた