まさに、民族の記憶 <二百三高地の攻防

が、残念ながら、これは司馬史観の「ナラティブ」で史実はもう少し散文的なようです。

つ「二百三高地自体、そこまで緊要地形では無かった」

と、いうのは、旅順港攻囲戦全体を通して、ロシア軍は人員損耗の補充が限界に達し、旅順艦隊の乗員を陸戦に転用。
旅順艦隊は、二百三高地陥落以前に実質的に壊滅していました。

ただし、二百三高地は築城強度が弱く、ここでの攻防がロシア軍の損耗を早めた、という累積的な意味はある。
二百三高地の陥落が「旅順艦隊」を葬った(そこからの観測で二十八センチ砲を誘導)というのは「お話」ですが。