>>273の続き

ニミッツ長官の作戦指導で批判される点としては、
「ハルゼーの進言を無視して、パラオ攻略を強行し、ペリリュー島で多大な犠牲を出した」
くらいでしょうか。

もともとアメリカ軍は、1944年12月に比島上陸を計画していましたが、
第三艦隊司令長官であるハルゼー大将から
「日本軍基地への空襲の手応えから、想定より弱体化している」
との進言を容れて、2か月前倒しし、10月20日のレイテ上陸となりました。