過去スレでも書いていますが、
中部太平洋艦隊司令長官時代の南雲中将には海軍乙事件のあと、
軍令部とGF次席の高須南西方面艦隊司令長官の協議により、
「太平洋正面の作戦を執れ」
と連合艦隊大部の指揮権を命じられています。

まあ、期間は次の連合艦隊司令長官と同司令部始動の1ヶ月程度で、
最大戦力の角田、小澤艦隊とも再建途上でしたが。
以上、『戦史叢書 マリアナ沖海戦』を参照。

しかしこの時、連合国側のマリアナ、パラオへの大作戦が始まっていれば、
事実上の連合艦隊司令長官として南雲中将が作戦指揮を行ったはずです。