>>381の続き

転機となったのは、翌1927年
アナポリスの兵学校内に、海軍航空隊分遣隊が新設され、
その指揮官にレイナ艦長のハルゼー大佐が任命されたことです。

「自分が知らないものに、責任をとることを嫌ったハルゼーは
教育してくれるようラムゼーに頼み込んだ」(p212)

※ラムゼーとは分遣隊担当士官のデビット・ラムゼー大尉

ちなみに、このときの分遣隊副長はクリフトン・スプレイグ大尉で
後のサマール沖海戦で栗田艦隊に追いかけられる米護衛空母群、
あのタフィ3司令官スプレイグ少将です。