>>545の続き

キングは大尉時代、アナポリス兵学校に砲術教官として赴任しますが、

「キングの対人処世術の不味さは相変わらずだった。
砲術科主任教官のグラント中佐とは、しばしば対立し、
我慢の限界を超えたグラント中佐は校長に報告する。

キングは校長に呼び出され注意を受ける。
校長からは、グラント中佐に詫びを入れなければ辞めてもらうしかない、と。
やむなくキングは謝罪せざるを得なかった」
(『アーネストキング~太平洋戦争を指揮した米海軍戦略家』谷光太郎/著)p30