>>796の続き

病状が回復せず、浜口内閣は総辞職。

次の若槻礼次郎内閣(民政党)では、
昭和6年9月に満州事変が起こり、
事変不拡大方針に反して暴走、閣内不一致で総辞職

満を持して、昭和6年12月に犬養毅内閣発足
ようやく政友会の天下となった。