>>675
大阪の陣において徳川秀忠が発した軍令によると、1万石当たりの鉄砲は20丁しか求めていない
250人につき20丁ということは比率はたったの8%で、最低限だとこのくらいの動員で済んだことになる
ただ1633年の軍役を見ると10万石で350丁(14%)まで高い水準を求められているので規模の大きな大名にはもっと余力があったのだろう
一応当時の日本では動員数のうち少なくて10%未満、多くて20%弱を銃兵が占めていたと考えるのが妥当だと思われる

1万石当たり20丁の銃を17世紀初頭の国内生産高2200万石に当てはめれば、銃の数は4万4000丁となる
そうではなく伊達軍の大坂の陣での配備率の19%という数字を55万人という総動員数に適用すれば、10万4500丁という数字が出てくる
このあたりが戦国末~江戸初頭における日本で動員できた銃兵の下限と上限だと考えられる
実態がその中間あたりだとすれば、当時の日本で動員できた銃はおよそ7万~8万丁あたりと推測される