キ61(飛燕)とキ100(五式戦)

1945年の3月、新しい優秀な迎撃戦闘機が日本上空に現れた。この新戦闘機
はF6Fヘルキャットよりも優れ、強力なP-51Dマスタングとも互角であった。
連合軍のどの識別表にも登場していない川崎キ100は、アメリカ軍に深刻な
ショックを与えた。

陸軍はキ61飛燕の機体があまっていることから、この機体に空冷星型エンジン
を据え付けることを決めた。選ばれたのは直径の大きな三菱ハ112-Ⅱエンジン
で液冷装備で設計された機体に空冷エンジンを取り付けるのは大変な仕事だ
った。キ100は素晴らしい技術的達成により、7週間後の1945年2月1日には、
試作初号機が初飛行している。

性能は期待以上で、鹵獲したP-51Cとの模擬空中戦でも互角だった。キ100は
速度は劣ったものの、運動性と降下性能では明らかに優位にあり、パイロット
の技量が同等ならばキ100が勝つと結論された。キ100の中低高度性能は優秀
で1945年5月に登場するP-51Dを除けば、連合軍のどの戦闘機よりも勝っていた。
しかし、高度7000m以上では性能が急激に低下した。

武装は20mmx2と12.7x2と、パンチ力もなかなかだった。キ100は地上要員にも
人気があり、戦争末期ではもっとも信頼性の高い日本軍機であった。最初の
実戦使用は第18戦隊だったが、この機体だけで編成されたのは第244戦隊が
最初になる。244戦隊は対戦闘機の空中戦では大きな戦果を挙げ、1945年6月3日
にはF4Uコルセアを7機撃墜している。7月25日には数に勝るF6Fヘルキャット
に攻撃をかけて12機を撃墜している。