岸田さん、歴史不勉強過ぎて日露戦争でウクライナ人が露側で大量に参加していた事をすっかり忘れ
日本人がウクライナ人を○しまくって勝った戦争を当事者に向けて自慢する

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政府関係者への取材によれば、箱の中身は、首相の地元・広島県の宮島で作られた50センチ大の「しゃもじ」だという。
しかも、ゼレンスキー氏宛てに「必勝」の文字と「岸田文雄」の署名入り。
しゃもじは「敵を召し(飯)取る」との意味で、験担ぎにも使われている。
首相はロシア相手に勝利できるよう、ゼレンスキー氏にエールを送ったようだ。

https://news.yahoo.co.jp/articles/b5fa4c7960455b47d5dc7fde50dbb209087a515b

第二次世界大戦・日清日露戦争の時代において厳島神社は、戦勝のために訪れる神社で、しゃもじを奉納するのも「敵兵士を召し取る」という縁起担ぎでした。

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日露戦争
1904年から1905年にかけて多くのウクライナ人は日露戦争にロシア側に参加させられた。ウクライナ出身者が最も多かったのはロシア帝国軍第10軍団であった。その軍団は、第9ポルターヴァ歩兵師団と第31ハルキウ歩兵師団から編成され、1904年の春にキエフ軍管区から満州へ送られた。しかし、戦闘中に軍団は多くの死傷者を出して軍管区へ帰還された。1905年の春にオデッサ軍管区から第15歩兵師団と第4狙撃兵旅団が戦地へ送られたが、その時戦争は既に終わっていた。日露戦争に参加したロシア帝国軍の兵卒の中では、ウクライナ出身者よりロシア極東に居住していたウクライナ系移民の方が多かった。彼らはアムール・コサック、シベリア・コサック、ザバイカル・コサックの諸軍に編成され、日本陸軍と交戦した。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%A8%E3%82%A6%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%81%AE%E9%96%A2%E4%BF%82