ウクライナ情勢 IP無ワ有 6

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2023/05/08(月) 11:52:12.92ID:iiodRorW0
!extend:checked:vvvvv:1000:512(<= これを先頭に入れるべし)

IP晒すのは嫌だけど、連投自演に付き合うのは
疲れたという人達用

前スレ
ウクライナ情勢 IP無ワ有 3
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1670646438/

ウクライナ情勢 IP無ワ有 2(実質4)
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1661142624/

ウクライナ情勢 IP無ワ有 5
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1678464162/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:: EXT was configured
2023/05/10(水) 16:26:22.49ID:h8opzv4Y0
2022 年 8 月と 9 月にウクライナの反攻作戦が開始されると、ロシア軍はパニック状態に陥り、指揮官の交代を促したが、軍管区とは異なる組織としての作戦指揮司令部を解消する決断は遅れさせた。ウクライナの反攻作戦開始の数日前にシチェボイが西部軍集団司令官を解任されたことは、ロシア軍司令部が8月の時点で軍集団司令部と軍管区司令部の区別をなくすことを決定したことを示唆している[16]。プーチンはウクライナでの作戦のために指揮系統をさらに単純化しようとしていたのかもしれないが、ハリコフとケルソン州でウクライナ軍が反攻を開始するとそれをさらに控えるようにした。シチェボイはハリコフ州でのウクライナ軍の反攻が始まるまで、何らかの形で西部集団司令官を続けていたと思われるが、ハリコフ州北東部周辺のシチェボイの責任範囲での一連の失敗により、ロシア軍司令部は集団の指揮をシチェボイとその後任と噂されるロマン・ベルドニコフ中将からラピンに移したとされる。 [17]
ハリコフ州とルハンスク州におけるロシアの作戦のほぼ全体を監督するラピンの任命は、おそらく当時のプーチンに対するラピンの立場を反映していた。クレムリンは、2022年夏を通じて、ラピンをウクライナ東部におけるロシアの攻撃の顔としてますます重要視しており、プーチンは、ラピンがゲラシモフの後継者になりそうだと長い間噂されており、国防省の主要派閥と密接に関連していないように見えたことから、次の全体的な劇場司令官に任命することを考えていたのかもしれない。 [18] 国防総省の両派閥は、前線のこの部門の指揮官が誰であれ、ロシア軍の失敗の格好のスケープゴートになる可能性が高いことを認識していたため、ラピンのこの高位の責任ある役割への任命を歓迎、あるいは支持したと考えられる。
@ISW
2023/05/10(水) 16:26:39.37ID:h8opzv4Y0
ハリコフ反攻の数日前にSychevoyが西部軍集団を解任された、これはロシア軍司令部が8月に軍集団と軍管区の違いを解消しようとしたことを示唆している。
でプーチンはさらに指揮系統の単純化を行おうとしてたのかもしれないが、ウクライナ軍によるハリコフ/ヘルソン反攻でそれを控えた。
でまぁSychevoyが担当していたハリコフ州を奪われ、ロシア軍司令部は噂された後任のBerdnikov、そしてLapinに指揮が移った。
でLapinはハリコフ州からルハンスク州全体のロシア軍を監督していたことは、その当時のLapinのプーチンからの評価を物語っているっぽい、みたいな。
で2022年夏を通じて、クレムリンはLapinをロシア軍のウクライナ東部での攻勢の顔とした、でプーチンはLapinを次期総司令官にすることを思い描いていたのかもしれない、当時はLapinがゲラシモフを継ぐのではないかと噂されていた、またどの主要な国防省内の派閥とも近くないと見られていた。
で国防省内の両方の派閥(その2つの派閥についてISWからの説明が見られないが、俺、見落としてる?)は、Lapinの昇格を歓迎、支持していた。
でそれはこの戦域を担当する指揮官がロシア軍のための便利なスケープゴートになると理解していたからっぽい。
2023/05/11(木) 12:07:06.01ID:MNeffkGU0
ハリコフ州とケルソン州でウクライナ軍の反撃が成功したことで、ロシア国防省(MoD)内ではより深刻な指揮官の交代と反ゲラシモフ派閥の台頭が起こった。東部軍管区と西部軍管区、およびそれらに対応する部隊のグループ化を含む不安定で混乱した指揮統制構造は、ハリコフ州におけるロシアの混乱した敗走と、9月中旬のイージム周辺のロシア軍のラインの完全崩壊を助長したようだ[19]。その後のイージムおよびハリコフ州の広範囲の領土のウクライナ解放は、プーチン大統領がロシアの防衛大臣セルゲイ・ショイグとゲラシモフの提案に納得して、一部動員の発表につながったと考えられる。 [20]
部分動員の開始後、ロシア軍はハリコフ-ルハンスク州軸に沿った戦線を安定させるために、ほとんど何の訓練も受けずに何千人もの動員人員を戦線に送り込み、10月1日のライマンのウクライナ解放というハリコフの反攻の最後の決定的な結果を受けて、それを実現することに成功した。 [21] 戦線の安定化により、プーチンはウクライナの反攻に阻まれる前に行うつもりだったであろう指揮官交代を行うことができ、ロシアの情報空間におけるロシアの後退、特にライマンの喪失に関する騒動を利用して、様々な指揮官交代を正当化した。プーチンは、ウクライナのライマン解放の翌週に、ジドコを総合戦域司令官とEMD司令官の両方から解任し、地区司令官とは別の役職として部隊群司令官の役割を終わらせた[22]。
@ISW

ハリコフ反攻でプーチンもイヤイヤ部分動員に踏み切った。
で戦線の安定化のために数千人の動員兵を未訓練のまま前線に送って、Lymanの失陥の後にそれに成功した。
プーチンは、戦線が安定したので、ハリコフ反攻以前からやりかった指揮系統の変更を実施。
Zhidkoが総司令官と東部軍管区の両方を解任された。
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