1805年、英海軍カルダー提督は15隻で
20隻の敵艦隊に攻撃を行い、2隻を拿捕、
敵死傷者500人に対して、英国死傷者200人。
という結果に終わる
戦後カルダー提督は、フランス、スペイン艦隊を補足しきれず逃したと言う理由で軍法会議にかけられ、怠惰だったとして解任、左遷後は二度と復帰されず退役。