卑弥呼は、複数の中国の文献に出てくるが
『三国志』 魏志倭人伝
正始八年(247年) - 倭は載斯、烏越らを帯方郡に派遣、当時、卑弥弓呼(卑彌弓呼、ひみここ、ひみくこ)が治める狗奴国との戦いを報告した。魏は張政を倭に派遣し、難升米に詔書、黄幢[注釈 3] を授与。
『後漢書』
189年前後? - 一人の女子がいて、名を卑彌呼という。年増だが嫁がず、神鬼道に仕え、よく妖術を以て大衆を惑わす。
『梁書』
光和年間(178年 - 184年) - 倭国の内乱。卑彌呼という一人の女性を共立して王とした。
『隋書』
189年前後か - 卑彌呼という名の女性がおり、鬼道を以てよく大衆を魅惑したが、ここに於いて国人は王に共立した。
『北史』
184年前後か? - 卑彌呼という名の女性がおり、よく鬼道を以て衆を惑わすので、国人は王に共立した。

邪馬台国は
『三国志』 魏志倭人伝
だけ
邪馬台国はホラ話だと思う