>>694
元来は稲は熱帯に近いところが発祥の植物だしな。

ベトナムのホーチミン周辺なんか、水害に気を付ければ三毛作も可能な位だ。
中国でも長江以南は米が中心で、長江以北は麦が中心になる位には古来から
南方系の作物だったりする。
(時代が経るごとに「江南満ちれば」から「江蘇満ちれば」になるのは、栽培技術と収穫技術の進歩を物語るものだろう)

因みに三国志の時代には既に「長江以北は麦、長江以南は米」と言うのは既に
或る程度傾向が定まっていたようで、諸葛亮の北伐はその観点からも維持が難しい、
と言う指摘はされていたりもする。

さて、我が国に米作が伝わってきたのは縄文中期以降からの話になるらしいのだが、
長い間東北での米栽培は上手くいかない事が多かったようで(この辺は「やませ」に
苦しめられていたから夏にやられるパターンが多かったようだ)、米栽培の北限が
青森に達したのは戦前、津軽海峡を越えたのは戦後暫くあとになってからだな。
それでも最初は北海道米は「不味い米」の代名詞だったようで、「北の羆」と異名を取った
中川一郎が「北海道の米は『ねこまたぎ』」なんて言われて悔し涙を流したのは一部では
有名だろう(きらら397が出るまでは北海道米は実際評価低かったからな)。