プリゴジンの結末が示すプーチンの戦争の姿とは
亀山陽司 元外交官
8/28(月) 5:29
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/30e7c329f67496030b3ebbdcf56952b5dd67df43

国家対国家の限定戦争
国家対国家の戦争には交戦法規が適用されなければならないし、軍事行動は国家によって統制されなければならない。つまり、まがりなりにも一定のルールやコントロールが働いている。そしてまだロシアは完全な総力戦には移行していない。つまり、「特別軍事作戦」と称している。これは、(一部徴兵は実行しはしたが)基本的にプロの軍人を中核とした軍隊のみで対処しているということだ。ワグネルを改編し、プリゴジンが排除されたこともまた、国家権力の統制が効いていることを示している。

西側諸国が押し付けているロシアのイメージとは異なり、ロシアの行動は現時点で冷静で抑制されている。戦闘が指導部によってコントロールされ抑制されている間は、戦争は政治の延長であり、目的のための手段である。つまり、限定戦争であり交渉の余地がある。しかし、一度暴力のタガが外れてしまい、軍事組織が主導的立場に立つようになると戦争自体が目的化し、行くところまで行かなければ止まれなくなる。暴力の無制限性が発動されてしまう。

例として日露戦争時代の日本政府と、日中、日米戦争時代の日本政府を比べてみればよい。日露戦争では明治政府はしっかりと交渉のタイミングを見極めたが、第二次大戦では一億総玉砕の目前までいき、国を滅ぼしてしまったのである。

ウクライナでの戦争は幸いにして今はまだそこまでの状態には至っていない。「政治的解決」という言葉が意味を持っている間に停戦に向かわなければならない。それが、プリゴジンの結末が我々に教えてくれていることの一つである。