大陸打通作戦を成功に導いた「四式戦闘機疾風」
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 大陸打通作戦の第一次作戦(河南作戦)/昭和一九年(一九四四)四~五月・・・・・・戦車第三師団、
戦車総数二五五両が参加。師団全体の踏破距離一四〇〇キロ、日数は三〇日(一日あたり四六・六キロ)。
師団捜索隊は約二〇〇〇キロ、三〇日(一日あたり約六七キロ)。
<中略>
 ここに示した日本戦車隊の長駆進撃も、連合軍側を大いに混乱させ急速な勝利をもたらした
典型例なのである。ちなみに、「電撃戦」と称賛される独ソ戦初期(一九四一年六~七月頃)のドイツ
機甲部隊の場合と比較してみると、グデーリアンが率いる第二装甲集団が踏破距離約六五〇キロ、
日数二五日(一日あたり二六キロ)、マンシュタイン上級大将の第五六装甲軍団が約三三〇キロ、
四日(ドヴィンスク急襲時、一日あたり八〇キロ)で、日本戦車隊の"快速ぶり"はこれらに劣る
どころか優れた成果を上げているといえる。
<「陸軍機甲部隊」(学研)158頁  文・古是三春>

156 名無し三等兵 (ワッチョイ e55f-2pcI [14.12.147.224]) 2023/09/30(土) 10:18:54.26 ID:u5mb1O/v0
なお大陸打通作戦
・補給は零だった―食糧も生活用品も現地住民から奪った。
・兵士の頭の中は零だった―今どこに居るのか、どこへ向かうのか兵士は知らされなかった。
・兵士の人格は零だった―自分意志での行動は許されなかった。命令に従うだけ。
・兵士の命も零だった―戦闘の中で、行軍の中でおびただしい命が消えていった。