>>874
>1942年1月4日のB-17Cの共同撃墜に関与したとは、日本海軍の公式記録では認められていない
この日の記述は『大空のサムライ』に無い

>1942年2月25日、軍人・民間人を乗せたオランダ軍のダグラスDC-4を見逃したとしているが、当日の坂井三郎は輸送船団上空直衛任務と記録されている
坂井は中隊長に許可を得て編隊を離れている

>1942年5月27日、西澤・大田と共にセブンマイル飛行場上空にて三回連続編隊宙返りを行ったとしているが、当時三人は同じ中隊に所属していなかった
この日、西澤と大田は坂井と同じモレスビー攻撃戦へ出撃している

>1942年6月9日、偵察部隊に所属していた後の大統領・ジョンソン少佐の搭乗するB-26は、エンジン故障により途中で引き返したため戦闘に参加していない
この話はジョンソン元大統領が坂井へあてた手紙を紹介したもの

>1944年6月24日、7月4日、7月5日の三回、硫黄島での空戦に参加としているが、戦闘詳報によると6月24日の迎撃戦と午後からの攻撃機隊援護だけ
『大空のサムライ』では6月24日は15対1の戦闘、他は6月末のこととして記述している。一つは迎撃戦、最後は特攻作戦

>迎撃戦では坂井の小隊の三番機・四番機が未帰還となっており、坂井名義の著作で戦死したとされる山口大尉の実際の戦死は7月4日のことだった
迎撃戦では編隊を組んで攻撃しない。未帰還者は組織割表に記入される