初期は翻訳なんでバラバラなのはあるが
西南戦争でフランスから輸入したので乾パンは当時はフランス語の二度焼きを意味するビスコイドと呼んでいた
明治17年のドイツ式兵制に転換しドイツ式乾パンを導入するに当たり二度焼きから重焼パンと訳した
(軍用パンは普軍パンと訳している)
ビスケットはパン=蒸餅の名残りを残していて今でも漢字だと乾蒸餅
明治18年の内国博覧会で国が命名したものでこの国産クッキーを作った風月堂の米津松造は
乾蒸餅という古臭い名前に怒り心頭で店を畳んで郷里に帰ろうとした

蒸餅は薩摩藩では発酵工程がうまく再現できなかったので煎餅みたいなものになっている
江戸を占領した事で江戸近辺の酒造職人を動員して研究しこの研究が明治陸軍に引き継がれ
本来のパンに近い形で量産化に成功した
江戸時代のレシピ本には甘酒を使い発酵させるパンの製造法があり大規模でないにしろ
嗜好品として西洋式のパンは国内で作られていたらしく江戸で集めたというのはそういう経緯らしい