>>354
簡単にまとめられる経緯ではないので難しいが、イスラエル建国時にパレスチナが国家運営に失敗した訳ではない。そもそも国連のパレスチナ分割決議(1948)をアラブ諸国が認めなかったため、その時にパレスチナ人の国家は建設されなかった。

一方イスラエルは独立宣言を行い国家として承認されるが、それを排除すべくアラブ連盟のエジプト、ヨルダン、シリア、イラク、レバノンがイスラエルに攻め込み第一次中東戦争が起きるものの、敗北。1949年に休戦となるが、国連決議で示されたパレスチナの領土はヨルダン川西岸をヨルダンが、ガザ地区はエジプトが獲得する。当のパレスチナ人は国家樹立どころか行き場が亡く無くなったため難民となり周辺地域に流出する事になった(今回の戦争が始まった時にヨルダンで大規模なデモを行っていたのはパレスチナ人)。痛恨時としては、負けた事とパレスチナの領土が他ならぬアラブ連盟の国に抑えられたこと。イギリスの3枚舌外交が良くネタにされるが、こっちの方が酷いと思うw

その後のすったもんだは全てぶっ飛ばすが、1988年にパレスチナ独立宣言が出されて自治が始まり、2006年にパレスチナで選挙が行われてハマスが与党となるが、ファタハと対立。ファタハがヨルダン川西岸を統治してハマスはガザを武力で抑えている状態。

何しろややこしいので端的な理解はかえって害になると思う。比較的バランスよく記述されてるサイトだとここかな?
https://www.y-history.net/appendix/wh0101-055_1.html