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ロシア軍の攻撃は、この種の燃料工場としては欧州最大の規模を誇る、同市のコークス工場付近に集中している。
戦域の鉄道路線エリアはおよそ3.2kmだが、問題は、敵がすでにこの線路に突破口を確保していることだ。
イワンはこう話していた。「敵はまだ線路の制圧には至ってない。ここの戦闘では、1日に3回も陣地の喪失と奪還が繰り返されている。交戦距離は30mだ」
「彼らは10人から15人の小隊で、絶えず攻撃してくる」。
ロシア側の死傷者は数え切れないほどだが、ウクライナ側の死傷者も非常に大きい。イワン自身も配下にいた17人の小隊全員をKIA/POWで失った。
市街奪取のためのロシア軍の攻勢が始まった10月中旬、第47機械化旅団の大部分はアウディーウカに移駐した。
イワンとその部下たちは、夏にはザポロジェでウクライナ軍の反攻作戦に参加していたが、この作戦は失敗に終わった。
第47旅団は、キエフが大規模な機甲部隊による攻撃戦略を選択した反攻の最初の3カ月で、大きな損害を被った。
ロシアの地雷原と要塞化された防御が進軍を遅滞し、敵の砲兵とドローンが車両と兵員を易々と狩っていった。
昨年9月、我々がザポロジェ戦線の軍事情報筋から得た情報によると、第47旅団はこの戦闘で兵力の30%以上、つまり定数5000人のうち2000人を失った。
イワンは16人の仲間が死ぬのを見たと言う。しかし、彼の話によると、Avdeevkaでは(失敗に終わった)反転攻勢の時よりも士気の問題があるという。
「前線での任務が続く4日間、塹壕の中で敵の砲撃で死なないよう祈り、敵歩兵の絶え間ない波状攻撃に応戦を強いられる。攻撃よりも防御の方が士気は下がるのだ」彼はこのように語っていた。
Avdeevka包囲戦におけるロシアの損害は、装甲車両が数百台、人命も数千人に上る。