ジョンソンがウクライナに行き、戦闘継続
ブチャはロシア撤退時に市長が宣言したが(虐殺などは一切言及無し)
その後なぜが虐殺があったという報道が出てきた


しかし、2022年4月9日、ボリス・ジョンソン英首相(当時)がキーウを訪れ、ゼレンスキー大統領と会談、英首相はウクライナに対し、
120台の装甲車と対艦システムという形での軍事援助と、世界銀行からの5億ドルの追加融資保証を約束し、「ともかく戦おう」と戦争継続を促した。
この情報は、ウクライナ側の代表を務めたウクライナ議会の「人民の奉仕者」派のダヴィド・アラハミヤ党首が、
2023年11月になって「1+1TVチャンネル」のインタビューで明らかにしたものだ。
もちろん、ジョンソンの背後にはバイデン大統領が控えており、米英はウクライナ戦争継続で利害が一致していた。
それは、ゼレンスキー大統領も同じである。戦争がつづくかぎり、大統領という権力は安泰であり、2024年3月に予定されていた選挙も延期できる。
だが、戦争継続は多くの市民の流血を意味する。そこで、和平協定を結ばないようにするには、理由が必要であった。

「ブチャ虐殺」が与えた影響

こうした時系列と文脈の中でブチャ虐殺を考えると、興味深いことがわかる。ここでは、ロシアの有力紙「コメルサント」(2022年4月6日付)の情報に基づいて、
ブチャをめぐる「物語」(ナラティブ)を紹介してみよう。

ロシア軍がブチャから完全に撤退したのは3月30日のことだった。その翌日に撮影されたビデオをみてほしい。
アナトリー・フェドリュク市長は、同市の奪還を喜びながら宣言している。
だが、なぜか集団残虐行為、死体、殺害などには一切触れていない。
むしろ、明るい表情でいっぱいであることがわかるだろう。

ところが、ロイター電によると、ブチャ市長は、4月3日、ロシア軍が1ヵ月に及ぶ占領の間、意図的に市民を殺害したと非難したと報じた。
これらの時系列が真実だったとして、なぜ、撤退直後ではなく数日後に急に虐殺を非難しはじめたのか。
ロシアとの戦争継続のための理由づけとして、ブチャ虐殺が利用されたと一面的には考えることもできる。
和平交渉を停止して、戦争を継続する理由としてブチャ虐殺は格好の題材となる。少なくともこんな「物語」(ナラティブ)を想定することができるのだ。