霧島沈没後、岩淵艦長が報告が戦史叢書にも出ているが、これも元は戦藻録
赤城や比叡のように、処分承認者とのやり取りは逐次記録されていない
それでも、下記のような大枠は読み取れる
①霧島はワシントンに右舷を撃たれ、右舷に傾いていた
②舵故障、機関は微速可能のみ
③長良に曳航を依頼するが不可能との回答
④「長官宛御指示を乞う旨依頼」
⑤右舷傾斜増加、左舷注水を命令
⑥総員退去を決意、駆逐艦横付を依頼、移乗開始
⑦傾斜が強まり甲板に立てなくなり各自退去を命令
⑧左舷に傾いて沈没
まず、先に書いた通り霧島の処理権限者は近藤長官
だから艦長は③で自ら努力はしたが、返事は記録されていないものの④で長官に指示を仰いでいる
で、艦長は左舷に注水を命じているが、⑤⑥⑦という流れの中で、むしろ駆逐艦を横付するための傾斜修正の注水であって、武蔵と同じパターンと思われる
⑧で最終的には左舷傾斜して沈没したので注水の効果はあったように思えるが、いずれにしても④で処分権限者の指示を仰いだ後のことで、艦長独断ではない
新・戦艦スレッド 134cm砲
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116名無し三等兵
2024/01/14(日) 08:59:48.21ID:TnKdaK5l■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
