>>436
戦史叢書ちゃんと読めよ まず小柳が指示した時刻は25日黎明で0500突入だ 西村がその意思を示したとするのは栗田艦隊本隊が出撃後の2S221135電の行動要領だが記載はピニト岬に0100到着で以後レイテ湾を目指すで海峡入り口の到着時刻を示してだけで突入時刻は示していない 
海峡入り口からタクロバンまで3時間なので最短0400に突入出来る事を暗に示しているだけだ だから戦史叢書は順調に進撃するならばの留保をつけている その直前に出した第三部隊作戦要領は「主力に策応し・・タクロバン泊地に突入し、日の出前後に渡り・・攻撃撃滅す」だから小柳からの指示通りだ
叢書の記述は納得出来ないところがあってスリガオ海峡入り口に1時間早く到着すると西村は連絡してきたが、突入時刻を本隊より1時間早めるとは言っておらずこの二つの間には大きな違いがある 本隊の進撃状況に合わせられる様に1時間早目の行程で進撃するとの意図だと思うがね
もう一つ戦史叢書はこの2S221135電を本体が受信したのは23日0940で愛宕らが撃沈されて大混乱になっていた時間であった事も記載している
作戦が0500突入である事は当然志摩も知っており西村に追いつこうと速力を上げて海峡到着を2時間繰り上げたが西村から0400突入を知らされて追いつく事を断念 1.5時間後に突入を連絡している

・小柳が指示したX日の突入時間は0500
・西村は出撃直前にスリガオ海峡に到着予定を連絡したが突入時刻は示していない 作戦要領は主力に策応して日の出攻撃とあるので、小柳の指示通りで西村は本体の状況に合わせて同時に突入するつもりであった事がわかる
・西村が突入時刻を初めて明示したのが2S242013電 小柳は1時間早いと書いている 当然ながらブルネイの作戦会議では本体と別働隊は0500に同時突入が大前提 その栗田が大きく遅れて時間を合わせる必要が無くなったので西村は最短での突入時間である0400突入を決意して連絡した なので小柳が1時間早いと書いたのは彼の認識通りだったろう

なお0500突入だと志摩艦隊と策応可能になるのだが、西村が志摩艦隊の存在を認識していたかが不明なので、ここでは考慮していない