ちなみにこの明治天皇の和歌しぐさの補助線として、明治初期に天皇は親政やる気満々で意欲を見せてた時期がある
これに元国学者や漢学者が御意思を実現させようと動いてたのだ
そこをのちの元老たちがなだめすかして明治19年に伊藤博文と明治天皇の間で「機務六条」が締結。政治の権限は持つものの統治自体は臣下に委ねられてる
これを制度化したのが帝国憲法で、権限自体を天皇が握ったのは元老側からの配慮でもあったのだ

これを受けて明治天皇は統治のチェック機構として自らを位置づけていわばケツ持ちの役割をしていた
だからこそ、「(臣民ほかやる気満々だし)気が進まんけど戦争やるならケツ持ちはしてやる。そのかわりきっちり見てるからな」とさらっと和歌ひとつで言ってのけてるわけだ

それでいて表向きは感想っぽい和歌ひとつ言っただけなので公式に命令も下していないのだ