>>138
逃げて、ってか、上泉信綱は元々長野業政(正)の配下だったんじゃ。

で、長野病死後、長野の息子(長野業盛)が23歳で自害後、上泉は信玄に執拗に出仕を
求められたが拒否し続けて、「他家に仕えない」事を条件に浪人して、その後諸国を
回って新陰流の伝授に努めたんだな。
(箕輪城を信玄が2万を号する軍で包囲して落城させた)

この諸国流浪時に柳生石舟斎や足利義輝や丸目長恵に新陰流を伝授している。