>>684
>海軍だけでなく、陸軍も失敗しましたよね
>飛燕は結局、和製Bf109やFw190Dになり得なかった

当時の水冷エンジン開発失敗を振り返るに、つまるところは水冷のクランクシャフト他に必要な工作精度が20%ほど足りなかった。
それは1940年代ではもう手遅れでしょう。

では、いつまで遡って先行開発すればその水準に到達できるか?
「1936年頃に開発をスタート」していれば「水冷化が成った」と見ます。

【理由】
○日本も、戦後1950年代になるとカーレースでホンダ他がV12水冷エンジンを投入していた。
航空エンジンでV12いうたらもろに2000馬力級マーリンです。5ー6年あれば・・。
○イギリス空軍省がV12マーリンの要求を出したのが「1936年」、イギリスも5年以上は開発期間をかけている。

よって「1936年頃にスタート」していれば、ギリギリ1941年以降の機種には2000馬力級の水冷が間に合った・・・かもしれない。

現実は、陸軍が3式飛燕に着手したのは1940年。5年遅い。

海軍は・・・1936年は「戦闘機不要論」のピークでした。

「1937年7月に海軍航空本部教育部長にあった大西は「航空軍備に関する研究」と題するパンフレットを配布しており、
その中で大遠距離、大攻撃力、大速力を持つ大型機による革新を説き、小型航空機に将来性はなく、戦闘機は爆撃機の速度、高度増大でさらに必要なくなると主張」

とても水冷エンジンどころじゃないね。

ちなみに、一流の列国軍は,ほぼ全て水冷を実用化さえています。
イギリス、ドイツ、アメリカ・・・。
できなかったのは、イタ公と日本w
水冷を実用化できないってことは、「日本の航空技術はイタ公並み」と認めることです。