弁解の余地が無い思われるのは、WW1で「フォッカーの懲罰」以下、戦闘機による大規模な「航空優勢の争奪」が既に生起しており、
「戦闘機不要論」など1910年代の化石でしかなかった。

石頭の帝国陸軍でさえ、ノモンハンでのソ連空軍との航空優勢の争奪を経験(総合的にはボロ敗け)して「何はなくとも戦闘機」、逆に「戦闘機一点賭け」に近い。
他の装備は全て我慢してでも「戦闘機」に投資していたと言って良いでしょう。

それを、同じ国で、莫大な予算と石油を消費し艦船、航空機を運用しばがら、1930年代にもなって未だに「戦闘機不要論」?
この連中(海軍航空主兵派)は、「航空優勢」というものを「最後まで理解しなかった」と断罪て良いでしょう・・・・。

そして、戦後の航空自衛隊(源田実)にもそれは遺伝して、今なお「航空優勢」の概念を理解していない。
現在のF-3の議論でもそれは見えるよ?

これ(F-3)、何に見える?

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自分には爆弾倉付きの「爆撃機」に見えます。
最大譲歩して戦闘爆撃機。
航空優勢の争奪に最適化した「制空戦闘機」には見えない。
これが「戦闘機」に見えるやつは洗脳されてますよ。目を覚ませ。