すなわち用兵と造兵の分離である。
造兵を全く知らない用兵エリートには、ただ欧米軍隊の無思慮な猿真似が
できるのみであった。日本経済と日本工業がいかなる造兵を可能とするかが
分別できもせぬ者に、日本独自の安全保障が構想できるはずがない。
大正時代の海軍の用兵エリートは闇雲に「対米七割」にこだわった。
なぜ、戦艦や巡洋艦の数が対米七割なら海軍は自信を持てるなどと言えるのか?
米国だけが海軍力を持った外国じゃなかろう。
かつての英国のように「二ヵ国標準」の考え方を採用すれば、日本は米英に対して
三割五分。そしてこれは日本の場合、少しも非現実的な想定ではない。
げんに日本は馬関を四ヵ国の連合艦隊によって砲撃され、上陸された経験を
有するではないか。千島や対馬を犯したのはロシア軍艦であり、長崎にやってきて
騒動を起こしたのは、ドイツ製軍艦に乗った中国人水兵であろう。
遼東半島を還付したのも、アメリカ以外の三ヵ国からの合同干渉に屈したからでは
なかったのか?
こんなことも弁えず、下部条件が異なるアメリカと何でも同じものを
持たねばならぬ、持ちさえすれば勝てる、しかも、アメリカ一国に勝ちさえすれば
日本はそれで万全なのだと言い張った海軍の幼児的主張を、大正以降の日本の
指導者層の誰もたしなめることができなかった。結果、開国から八十七年で、
やすやすと米英蘇支四ヵ国に日本列島を占領させることになった。
いったいそれならば何のために開国したか?建軍いらい七十年、人間が専門化
することの愚かさを、ここまで遺憾無く発揮した例は、古来稀であろう。