>>686
そして1497年にポルトガルから出航したバスコ・タ・ガマ提督は、4隻の船団を率いてアフリカ南端の喜望峰を経由し、インドに到着しましたが、
彼らが載ってきた船はいずれも100トンやそれ以下の小舟ばかりで、現地の王への謁見が叶ってもロクな献上品を積んでいませんでした。

以下wikiからそのくだりを抜粋。
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5月28日、ヴァスコは13人の部下を連れて上陸した。
『航海史』では、出迎えとともに宮殿に向かう一行は途中立ち寄ったヒンズーの寺院を「教会」と記している。

王宮に到着したヴァスコは来訪の目的を廷臣に伝えるように要求されたにもかかわらず、自らはポルトガル王の大使であるから王に直接話す
と主張して聞かなかった[29]。

翌日宮殿で謁見したヴァスコはカレクト国王に親書を渡し、目的のひとつを達成した[31]。
しかし用意した贈り物を見た王の役人やイスラム教徒の商人は笑い出した。

贈り物は布地、一ダースの外套、帽子6個、珊瑚、水盤6個、砂糖1樽、バターと蜂蜜2樽に過ぎなかった[29]。
「これは王への贈り物ではない。 この街にやってくる一番みすぼらしい商人でももう少しましなものを用意している」と言われ、ヴァスコは
「私は商人ではなくて大使なのだ。これはポルトガル王からではなく、私の贈り物なのだ。王が贈り物をするならもっと豪華なものになるはずだ」
と苦しい言い訳をした[29]。

30日になった2度目の謁見でイスラム教徒への不信を国王に述べながらも、積み荷の交易許可を得た[32]。
このとき王に「そんなに豊かな王国からやってきたならなぜ何も持ってこなかったのか」と聞かれている
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遥々遠方の国の王からの大使みたいな事を言いながら、献上品がその辺の下級商人よりもショボくては、そりゃ一同プークスクスするよ。