たとえば日本最初の弩級戦艦河内は製造訓令が出たのがドレッドノート就役半年後の1907年6月で起工はその2年後
そこから竣工まで3年かかってはいるがスタートは遅くはない
主砲が45口径と50口径の組み合わせという弩級戦艦としては中途半端なものになってしまったが、これはまだ弩級戦艦をどうすべきかという方針が模索されていた時期だからしょうがない