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江戸時代の武士たちは扶持米として年数回に分けて支給される米を受け取りそれを売却する事で金銭収入を得ていたのは有名な話である。
このあまりにも米相場に依存し過ぎている給与形態と元禄時代というバブルを経た事での商業の活性化および消費の増加によって物価が上がり、
それにより生活が困窮してくるとどうしても金を借りる必要が出てくる訳だし、
武士が関係無い市井で日々を生きる者達だって毎月安定した収入なんて見込めない時代なのだから金が手元に無くても入り用になる事はしばしばある。
そういう状況が発生すればそれを切り抜ける方法として民衆の間から小金を持っている町人により資金が運用される個人レベルでの小口の金融業者が出てくる事は必然であろう。
こういう私的な金融業者は規模の大小はあれども江戸時代以前にだって当然あったし彼らが経済活動において原初的な銀行的役割を果たしていた事は確かではあるのだが、
それは言葉を飾っているというだけで歯に衣着せない言い方をすればただのサラ金とか闇金でしかない。
こんな闇金を規制する法は当時無かったから当然利子の利率もアホみたいに高い訳で、有名なカラス金などもこの時代に出来たものである、
零細商人が朝商品の仕入れをするための金を借り、夕方にはその商品を売った金から1%程度の利子を付けて貸主に返すという事もこの時代の日常ではさして珍しくない風景だった。