終戦が遅れたのは昭和天皇の一撃講和論の影響が大きい。

敗勢下の日本の戦争指導を「早期終戦」ではなく「継戦による条件改善」へと方向づけた点に最大の影響がある。天皇は戦局逆転を期待したのではなく、米軍に限定的損害を与えて体面ある講和を狙ったが、この方針は軍部の「決戦幻想」と結びつき、ガダルカナル撤退後も戦争継続を容認する根拠となった。

昭和十九年のマリアナ・フィリピン喪失後も「どこかで一矢を報いる」機会を探す姿勢は変わらず、戦争指導会議は講和研究をタブー視し、外交的選択肢を狭めた。
結果として、原爆投下とソ連参戦まで政治指導部は終戦判断を下せず、一撃講和論は戦争終結を大幅に遅らせる要因となった。