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【プロ棋界完全終了】藤井聡太1強時代に突入
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
0001名無し名人
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2023/03/20(月) 08:52:09.97ID:t/Y7Xqpg
名人も確定だし…
今年中に8冠制覇して白けた空気になるね
0952名無し名人
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2023/03/31(金) 05:44:44.25ID:3neA6jsq
どうせ「藤井>>>その他」なんだから、大山とか羽生とかクソほどどうでもいい
低レベルな話は別の場所でやってろ
0953名無し名人
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2023/03/31(金) 06:48:10.22ID:cVJte/XA
>>945,947,951
あなたは、始めはあれほど戦争を理由に力説していたのが理由にならないことを指摘されると引っ込めて恥とも思わないのかね
今度は棋士になる前に死んだ人が多かったとか、生きることが精一杯で棋士を目指すことができなかったとか、事例を一つもあげられない空想を前面に語り出して自分でアホなことを言っているとわかっていないのかね
いつもの羽生オタだから開き直るしかないようだね

奨励会時代に惜しまれて死んだ棋士がいたという伝聞はないし、家出してまで好きな将棋で身を立てようとした升田のような話は聞くけど立志伝中の人物に貧乏で将棋をあきらめたと語った人は一人もいない
有名にならなかった人にあきらめた人がいたとしても升田ぐらいの熱意がないのでは将棋の天才ではなかったのだろう
貧困家庭の親の立場なら口減らしにもなり出世して親に仕送りしてくれることも期待できるのに師匠に子を預けることを拒んだりしないし、拒んだ話も伝わっていない
0954名無し名人
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2023/03/31(金) 07:00:00.34ID:cVJte/XA
結局は、乳児死亡率と将棋参加率いう統計で議論すれば済むことになる
【将棋に親しんだ男児数】は
1923年
2,000,000×0.5×0.85×0.8
=680,000
1970年
1,900,000×0.5×0.4
=380,000

大山の年代は同学年に68万
羽生の時代は同学年に38万
10学年で300万の差
そして、将棋熱は4倍の差
*大山時代は羽生時代より子供の人口比率が倍で将棋参加率も倍
0956名無し名人
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2023/03/31(金) 07:28:19.73ID:cVJte/XA
増川宏一氏の労作『将棋の歴史』にも、大正時代から昭和初期の将棋人気が活写されている
『昭和五年朝日年鑑』に「将棋熱旺盛」という見出しで日比谷公園での将棋野外講演に5000人が集まったり、将棋会はどこでも盛況で各階級から1000名の参加者も珍しくなかったと記されているという
大山は5歳で将棋を覚えた
昭和五年は大山が7歳のときだ

そして、アマチュアの有名な団体はどこも例会が盛況だったという
大阪だけでも、大阪倶楽部、観音寺倶楽部、清交社、天狗会などがあり、素人将棋大会には3000名近い参加者があった
職場や学校で昼休みに将棋を指している人達がいて、見物する人達もいた
親が将棋好きなら早くから将棋を覚える子供も増える
男3兄弟が当たり前の時代だから、覚えた兄が弟にも教えて遊びたがるから一番下の三男は5歳で将棋を覚えることになる
とくに大山の年は当り年で、同年の生まれでA級棋士になった棋士は4人もいる
1923年生のA級棋士
廣津久雄 原田康夫 大山康晴 加藤博二
*加藤一二三が名前を上げている五十嵐豊一(>928)は1924年の生まれ
0957名無し名人
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2023/03/31(金) 07:42:10.01ID:XVzEU2GM
めんどくさいけど調べてやったぞ
戦争とかなくても1920年時点の統計で1年間に0歳から4歳で27万人も死んでるし、
その後の年代も羽生世代の生まれた1970年と比べたら若年齢は桁が1つ違うくらいポロポロ死んでる

https://www.ipss.go.jp/syoushika/tohkei/Data/Popular2005/05-06.htm

こんな状況下で実際に棋士になる前に死んだり、死んでなくても棋士を目指すことができなかった人の数も多いのは当然かと

まあ一昔前の野球オヤジみたいな感じで娯楽としての将棋人気はあったのだろうが、当時の固定給もない職業棋士はまともな家庭の子供が目指すものではないな
それで大山が働きかけて順位戦のクラスに応じた固定給的な制度を導入したはずだし
0958名無し名人
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2023/03/31(金) 07:56:23.36ID:cVJte/XA
>>957
乳児死亡率で計算すれば済むのに>954が理解できないおつむなのかな
0959名無し名人
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2023/03/31(金) 07:56:54.58ID:ry27lJt1
大山はどうがんばっても上から100番手以降の強さ
0960名無し名人
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2023/03/31(金) 07:59:11.91ID:XVzEU2GM
>>958
大山さんの時代は乳児じゃなくても毎年数千人単位で死んでる過酷な環境のようですが
0961名無し名人
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2023/03/31(金) 08:02:12.36ID:XVzEU2GM
あと将棋参加率とやらのデータも提示してね
今のところ参加ってのがどの程度のことを言ってるのかも含めて定義も集計方法も意味不明
0962名無し名人
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2023/03/31(金) 08:04:19.56ID:cVJte/XA
>>957
不真面目で無責任で論証抜きの主張だから言っていることがコロコロ変わるね

>社会経済的にも将棋なんかしてられない人が多かった(>951)

>まともな家庭の子供が目指すものではない(>957)
0963名無し名人
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2023/03/31(金) 08:06:04.19ID:XVzEU2GM
>>962
どれも論理的に両立可能な理由に思えますが
どの辺りに矛盾点等を感じられたのでしょうか
0964名無し名人
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2023/03/31(金) 08:17:08.08ID:cVJte/XA
>>961
10代までに将棋を指したことがあれば将棋の才能がある子は将棋に夢中になる
遊んだことがなければ将棋の才能がどんなにあっても将棋を知らないまま大人になってしまう
だから、遊びを経験したかどうかが重要で、1年に1回以上指した子供は参加した人数にカウントされる
https://i.imgur.com/9OQ1uBF.jpg
0965名無し名人
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2023/03/31(金) 08:27:21.54ID:XVzEU2GM
俺の主張の骨子は>>930にまとめてあるとおりで、
その後にいくつか補充がされている格好

大山時代は
①戦争やら病気やらで人口が減ってる
→この辺は>>940及び>>957の統計データ参照

②生きてても経済的な事情等で職業棋士を目指せない
→ 統計は出してないけど説明要る?

羽生世代の頃は
①単純に人口が多い
→大山時代の①と同様

②裕福な家庭が多い
→大山時代の②と同様

③テレビゲーム普及前で将棋がメジャーな屋内遊戯だった最後の時代
→これは確かに大山時代と比べたら娯楽としての人気は低かったのかなとは思う。
テレビゲームはなくてもテレビはあるし漫画もあったから。
ただ職業棋士としての人気は谷川効果とかもあって羽生世代の頃はかなり高かったかと。

奨励会の受験者数とか統計は見つからなかったが、
谷川が↓のように発言してたのが参考になるかも

「羽生さんたちの世代が奨励会に入った頃は、受験者が数十人といましたが、私が奨励会に入ったときは関西の受験者は2人だけでした。」

http://shogiweblog.net/archives/1433
0967名無し名人
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2023/03/31(金) 08:30:27.69ID:cVJte/XA
>>963
論点には重要度というものがある
あなたが最初に一番強調していたのが戦争で亡くなっているという主張で二番目が経済的に余裕がなく将棋などで遊んでいる人が少なかったということだった
そのどちらも論破されたら「戦争でなくとも病気で亡くなる子供が多かった」とか「まとまな家庭の子供がめざすものではない」とか付け足しの理由を加えているだけだからとにかく大山時代は不作という主張を変えたくないだけ
子供が多くなくなっているというが、その数を30万人(200万人の15%)と見積もっても大山時代のほうが豊作なのは明らかだ(>954)
すべてあなたの主張は俺に反論されてから言い換えているのに対して、俺の主張はあなたがイチャモンを付けてくるまえに先行している
将棋でいえばあなたの読み負け
0969名無し名人
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2023/03/31(金) 08:33:14.54ID:cVJte/XA
>>965
羽生が四段昇段したときの奨励会がこれ
東西合わせて20名しか三段がいなかった
今の三段リーグのちょうど半分
20名しかいないのに6人も四段に昇段していたのが谷川羽生時代の奨励会
https://i.imgur.com/ETz3Rta.jpg
0970名無し名人
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2023/03/31(金) 08:47:46.12ID:h9RvFGOm
大山ヲタ、必死だな
0971名無し名人
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2023/03/31(金) 08:51:12.00ID:jYhlKKs4
大王座にして中名人オタ
0972名無し名人
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2023/03/31(金) 08:53:22.70ID:XVzEU2GM
なんか勝手に論点に順位付けられてるけど棋士の道に進むかどうかの話だから死んだケースも生きてて目指せなかったケースも論理的には並列関係だよ
ただ死亡者は数値で直接証明できるが目指せなかったケースは背景事情から推測するしかないってだけ

あと大山世代と羽生世代の出生数の差は戦争を除いても死亡者の差で覆ってるやん
0973名無し名人
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2023/03/31(金) 09:03:40.01ID:XVzEU2GM
1923年生まれ…2,043,297人
1970年生まれ…1,934,239人

出生数の差…109,058人

0歳から4歳死亡者数
1920年…270,154人
1970年…19,085 人

死亡数の差…251,069人

推計値にはなるけど戦争の影響がなくても5歳時点で約15万人程羽生世代の方が同年齢人口は多くなる計算
その後も大山時代の方は5年毎に数万人単位で死んでる

[内閣府]出生数、合計特殊出生率の推移
https://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/whitepaper/measures/w-2004/html_h/html/g3340000.html
0974名無し名人
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2023/03/31(金) 09:04:44.50ID:XVzEU2GM
あと大山が18歳から22歳くらいまでに太平洋戦争があったからそこで桁違いに死んでると思われる
18歳から戦争始まったら生きてても棋士を目指せなかった人間が相当数いるだろうことは容易に想像できるけどこれも噛み付くの?
棋士で死んだのが1人だけです、だから戦争の影響はありませんとか脳味噌お花畑で素敵やん
0975名無し名人
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2023/03/31(金) 09:12:47.93ID:cVJte/XA
>>974
プロ棋士になる才能があれば18歳だったらとっくに奨励会に入っているよ
0976名無し名人
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2023/03/31(金) 09:16:29.56ID:cVJte/XA
>>973
何百万人生まれようと将棋の経験がなく大人になってしまう男児が60%もいたら未経験者が20%の大正時代とでは雲泥の差になる
0977名無し名人
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2023/03/31(金) 09:20:17.95ID:cVJte/XA
>>972
理由を何個上げても一番目と二番目の理由が根拠なしでは往生際が悪いのではないだろうか
0978名無し名人
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2023/03/31(金) 09:30:33.27ID:MZMs8o3O
なんかすげーな
この情熱を他に向けたらいいのに
0979名無し名人
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2023/03/31(金) 09:39:23.28ID:cVJte/XA
そもそも、将棋人口とプロ棋士のレベルの関係を説いたのは木村、塚田、升田、大山といった将棋界の巨頭が大正時代に集中した理由を解読するためのものであって令和時代より平成時代のほうが将棋人口が多かったから平成の棋士のほうがレベルが高いとかを主張するためのものではない
羽生オタなどは競技人口とプロ棋士のレベルは関係ないとほざいていたのにすっかり忘れて羽生世代は競技人口が多かったから今よりレベルが高かったと言い出すとはちゃんちゃらおかしい
0981名無し名人
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2023/03/31(金) 10:01:50.80ID:cVJte/XA
谷川が四段昇段したときの奨励会がこれ
https://i.imgur.com/IzwhV89.jpg

東西合わせて13名しか三段がいないのに1年間に7名も四段に昇段できた
倍率にすると2倍にもならない
今の三段リーグは倍率20倍
0982名無し名人
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2023/03/31(金) 10:02:57.60ID:GYpehhWs
赤IDを消すとめちゃくちゃスッキリする
0983名無し名人
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2023/03/31(金) 10:05:56.83ID:cVJte/XA
【四段昇段が最も容易だった奨励会規定方式時代の三段在籍期間】
https://i.imgur.com/hlAQbaE.png

三段リーグの1期抜けより早い棋士が13年間で15名も誕生した
何せ例会で三段に昇段した翌週の対局からどこで8連勝でもどこで12勝3敗でも四段になれるようになった
*あまりにも四段昇段者が多くなったので後に12勝3敗は13勝3敗に8連勝は9連勝に変更されたが、12勝3敗を二度記録しても8連勝と併用しても四段になることができた
*ちなみに、現在の三段リーグから四段に昇段する棋士の在籍期間の平均は8.36期(約50ヶ月)
0984名無し名人
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2023/03/31(金) 10:22:36.98ID:vU8mF/cl
>>982
認めたくないことが言われているから見たくないだけだろ
関連スレでも人目に晒されたくないから全部埋めてたけどあれやるのは負けを認めたのと同じだよ
根拠薄弱な理由(>881)で持ち上げたりしなければ議論で負けることもないんだから慎めばいいだけ
羽生オタはそれなら大山のほうがすごいだろうということを根拠に持ち上げることが多いからバカにされていることに気付いたほうがいい
0985名無し名人
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2023/03/31(金) 10:29:10.62ID:cVJte/XA
三段リーグが東西決戦方式になったのは1959年からで当初は東軍7名、西軍7名それぞれの1位で東西決戦を行い勝ったものが四段に昇段できるという方式だった
合格倍率でいうなら14倍であるから1回の受験で合格するのが至難であるのは今と変わらない
1960年は大内が三段リーグ1期目で人数も東西で16名に増えていた
そこに米長と板谷進が入ってきて19名となりその厳しさは増していった
板谷、米長、大内と順に抜けたところに中原が入ってきたときには倍率20倍となり今と変わらない厳しいものとなった
そのため中原でも四段昇段に6期を要した
この倍率18倍~20倍の厳しい時代に四段に昇段してA級棋士になったのは中原の後は桐山、勝浦、石田、森安、森けいニがいる
1970年以降は倍率16倍に下がり田丸、真部が抜け、青野が抜けた1973年は倍率13倍に落ちている
その後は連盟の財政に余裕が生まれたので三段リーグを解体して四段昇段にも奨励会の昇級規定が適用されるようになった
このため。三段昇段後、半年以内や1年以内で四段昇段を決める者が続出して1年間に三段20名中7,8名が四段になるほど温いものになった
こうした制度変更によって誕生した中学生棋士が谷川、羽生にほかならない

三段リーグが復活したのは1987年で第1回の三段リーグの昇段者は中川、先崎の2名で狭き門になったとはいえ総勢17名で倍率は8.5倍にすぎなかった
その後第30回まで26名ほどで倍率13倍と安定的に推移している
総勢40名、倍率20倍になったのはここ2年のことで、藤井聡太が抜けた2016年前期の三段リーグは総勢29名で倍率は14.5倍だった
したがって、米長、中原らの四段昇段時の年齢がA級棋士になれる目安で、彼らより昇段が遅いようではA級棋士にはなりえないであろう
0986名無し名人
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2023/03/31(金) 10:31:05.23ID:GYpehhWs
>>984
くだらねえんだよお前らがやってることは
0987名無し名人
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2023/03/31(金) 10:44:54.43ID:vU8mF/cl
温い奨励会規定方式によって四段になった棋士たちが現在発言力がある年齢になっているわけだから率先して今の三段リーグの改革に取り組んでほしいものだ
三段の人数が30名に戻るまで1期の昇段者を3名に増やしてもいいのではないだろうか
C2からの昇級者も6名にしたらいい(現在の倍率19倍を10倍に)
0988名無し名人
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2023/03/31(金) 10:51:50.91ID:vU8mF/cl
>>986
他に書き込みたいことがあればそれを書き込めばいいのになぜ書き込まないのかな?
下らないスレなら見る義務などないのになぜ気になっているのかな?
それはお前が羽生オタだからだよ
0989名無し名人
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2023/03/31(金) 11:11:41.65ID:+9BxCs0J
大山はどうがんばっても上から100番手以降の強さ
0990名無し名人
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2023/03/31(金) 11:17:09.96ID:bdGDkogv
大山オタは大山時代の方が出生数多いから層が厚いとかいうアホな主張をまず撤回したら?
ポンポン死にすぎて5歳の時点で羽生世代に抜かれてるやんw

>>975
そもそも大山が10代の頃に奨励会の制度が始まったくらいなのに才能のある人間が自然に集まるわけないやろ
0991名無し名人
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2023/03/31(金) 11:42:30.62ID:vU8mF/cl
>>990
大山が入門した12歳のときから奨励会があったことを知らなかったくせして今さら何をいってんの
大野や升田はどうやって昇段していたと思ってんの?
奨励会がなかったのにどうしてプロ棋士を目指したと思ってんの?
皆、将棋さえ強くなれば一生困らない対局料収入がある木村名人がいる棋士の世界を知って入門しているんだよ
プロになれる自信がない少年が入門してこないだけで自分を天才と信じることができた者は入門してくるのが将棋界だよ
0993名無し名人
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2023/03/31(金) 11:44:54.28ID:+9BxCs0J
その天才の大山が現代の奨励会レベルだから、現代と比べるとレベルは低いな
0995名無し名人
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2023/03/31(金) 13:03:38.91ID:cVJte/XA
昔のA級棋士が強すぎる件
全盛期の相手棋士のレベルが低いというイチャモンがあるので63歳のときの現役棋士をクラス上位順にならべてみた
https://i.imgur.com/0gW3wiX.png
0996名無し名人
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2023/03/31(金) 13:32:15.32ID:U2TdL8LH
>>991
当時は師匠が実力判定してたんじゃなかったっけ
4段デビューも師匠の判断が大きくて
期待している弟子は敢えて4段デビューは急がせない風潮があった
これは実力未完成でデビューして負けグセがつくことを避けるため
0997名無し名人
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2023/03/31(金) 13:56:32.26ID:cVJte/XA
>>996
初段になると新聞棋戦の対局ができ収入になったし、新聞棋戦の成績だけで升田は三段になったらしい
0998名無し名人
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2023/03/31(金) 13:58:40.32ID:cVJte/XA
1928年(昭和3年)9月23日に、中島富らの愛棋家が資金を用意して、東京市・市谷の安田与四郎(愛棋家、経済誌「ダイヤモンド」主筆)邸で、東京で活動する専門棋士の弟子(6級から三段)23名を集めて「手合会」を開いたのが、奨励会の始まりである。この第1回「手合会」に参加した23名の中には、塚田正夫二段(後に名誉十段、日本将棋連盟会長)、坂口允彦二段(後に九段、日本将棋連盟会長)がいた。この会は愛棋家の尽力により毎月1回開かれていたが、1931年(昭和6年)2月に日本将棋連盟の附属機関となった(2017年現在の関東奨励会)。

関西奨励会は、1935年(昭和10年)11月に、やはり愛棋家が資金を用意して、大山康晴6級(後に十五世名人、日本将棋連盟会長)、升田幸三・三段(後に実力制第四代名人)、南口繁一・二段(後に九段)ら十数名で発足した。当時三段だった升田については、「本来は奨励会員となるはずであったが、特別の強さを認められ三段でありながら引き続き新聞棋戦に登場していた」としている書籍もある[10]。東公平著『升田幸三物語』では「升田は「強過ぎるから」(奨励会に)入れてもらえず、数少ない新聞棋戦の成績だけで昇段した。」と記述がある。
1000名無し名人
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2023/03/31(金) 14:19:05.89ID:JHoEKkIZ
昭和なら破門級の手が平然と指されることもある現代、要は昔は先入観が強くて将棋のレベルは低かった
攻めも守りも将棋自体のレベルは確実に上がっているのは確か
10011001
垢版 |
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