郷土史というのがある。むかし太郎作がどうした治郎兵衛が盗みをした、
庄屋の伝衛門が良い奴だった、などを、文献によって「研究」する。
globalに見ればなんの意味もない。たとえばモルダウの歴史を日本人が
読んでもほとんどなんの感興もわかない。宮崎に住む人が、八王子の
郷土史に興味をもつかよ。
 まして、一個人の一生をああだこうだと調べて書いても唯それだけよ。
鴎外が史伝にのめり込んだのは日本文学にとって大損害。
ま、鴎外先生も時代の潮流に乗れず、変な方向に「活路」を見出した
訳だ。