そうは言いながら、"Mrs. Dalloway" は、最初に読んだときにはろくに辞書も引かず、ろくに
ネット上の調査もしないでぐんぐん読み進めたけど、面白いと思った。ただし、YouTube 上で
公開されているその映画版を見たあとでの話だけど。もし映画を見ないでいきなり辞書なしでこの
小説を原文で読んだら、途中で挫折していただろう。

何度も言うけど、僕はこの小説に出てくる Septimus Warren Smith という狂人が好きなのだ。
そして、Mrs. Dalloway も好き。さらには彼女に恋焦がれてきた不器用な Peter Walsh も好き。
さらには、自分の考え方が正しいと信じ込む Sir. William Bradshaw や男勝りの Lady Bruton
も、この世の中によくいるタイプの人たちをよく描いていて、キャラクターとしてはとても面白い。

それはともかく、Virginia Woolf を読んでいると、今、誰のことを書いているのか、いつの話
なのかがわからなくなることが多い。一応は登場人物の名前がまずは書かれるとしても、そのあとはずっと
he か she で済まされるだけで、そのあとは延々と独白めいたものが続くので、誰のことを言っているか
がわかりにくくなる。

同時に、現在と過去が入り乱れるので、今は現在の話なのか過去の話なのかがわかりにくくなる。
一応、「現在」のことは英語では過去形で書かれ、過去の話は過去完了で書かれることが多いとは
いっても、それでもわかりにくくなる。

なぜこんな書き方をしたのか?Virginia Woolf を読んでいていつも思い出すのが、
「主客未分化の世界」とか何とかいう言葉だ。大昔に読んだ西田幾多郎の「善の研究」に
出てきた考え方だ。あまりよく覚えていないしよく理解もしていないけど、僕なりの荒削りの
解釈では、この考え方は、主体と客体とが分化されておらず、それらが混然一体となった
世界があるのだ、というようなことを言っていたと思う。
(その2に続く)