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純文学と大衆文学(通俗小説)の違いって何?   [転載禁止]©2ch.net

1吾輩は名無しである
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2015/10/05(月) 18:06:24.39
芥川賞・・・純文学
直木賞・・・大衆文学

らしいけど、
純文学と大衆文学(通俗小説)の明確な境界線ってあるの?
  
532吾輩は名無しである
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2019/11/19(火) 05:44:02.03ID:ZkiQTAqL
語彙とテーマと言語空間の違いだよ。
申告制だからね基本的に。
黙ってると松本清張のように原稿が直木賞から芥川賞に回される事だってある
533吾輩は名無しである
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2019/11/20(水) 02:38:20.02ID:j3r09lv/
俺の感覚で言えば、不如帰や金色夜叉は大衆文学だな
当世書生気質も文学史上では大変意義あると認めるが、
内容は、森見の腐れ大学生を描いた話と変わらん
2020/01/12(日) 15:39:36.83ID:MWhAF+aj
大衆文学と純文学って分ける意味あんの?
芥川賞か直木賞か区別しないといけないから?
2020/01/12(日) 15:43:04.97ID:MWhAF+aj
小説は名作か駄文かの2種類ね。
または面白いかつまらんかの2種類。
536吾輩は名無しである
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2020/01/13(月) 12:07:46.80ID:uB5+df96
https://umiumiseasea.com/tanizaki/
大衆作品としても面白い谷崎潤一郎
537吾輩は名無しである
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2020/01/15(水) 00:55:30.62ID:gQmGPCY/
話に明確なオチがあるのが大衆文学。
オチが曖昧でも許されるのが純文学...ていうか時にはそういう手法も取り入れるということか。
2020/01/17(金) 08:45:24.46ID:HMvYJo7O
>>537
わりと明確なオチや、劇的な結末がないと納得しないのがエンタメファンだけど
泣く笑う怒る喜ぶというハッキリとした感情ばかりが人間の心ではなくて
本来人間は、もっと微妙な心の動きや葛藤があるとういうことまで表現するのが純文だと思う
2020/01/20(月) 00:04:04.70ID:VaFeFyY2
書くための動機が違う。

大衆小説はよく売りたいという「希望」があるのにたいして、近代文学の傑作は「絶望」から出発している。

一見同じようだが、天と地くらい違う。
2020/10/04(日) 21:14:45.93ID:jcH9gZ5s
>>539
じゃ純文学は売るなよ
ブログにでも書いてればいいのであって
541吾輩は名無しである
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2020/12/20(日) 11:28:12.80ID:sSwOWxz9
ある物語に主人公がいて極悪非道の大ボスがいるとする
勧善懲悪的に主人公が悪党を倒すのが大衆文学、主人公が普通に悪に敗北するのが純文学
ご都合主義的に読者のウケを狙って通俗的な俗情に媚びず、
ネットミームで言うフラグみたいなあるあるな展開文脈を無視する
時には露悪的、胸糞的なリアリズムを活写する
大衆の評価や売れ行きを期待しない芸術のための芸術、文学のための文学、
それこそがピュアな文学、純文学じゃないかといえばそんなところ

 
2021/01/24(日) 17:52:41.74ID:l75SB6k6
>>7
川端の小説って退屈だから純文学
っぽく見えるだけの通俗小説じゃん
古都は特にそう
2021/01/25(月) 07:40:28.39ID:GvQYa9IA
その理由とは
どこを見て通俗小説としたのか
そこが肝要なスレ
544吾輩は名無しである
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2021/04/16(金) 17:21:23.39ID:gdK+FFCh
明治から戦後まで小説を通じて人生を考えざるを得なかった日本独特の概念なんだろう
世界中どこでも小説に芸術性や思想的要素を求める少数派とエンタメとしての物語を求める多数派はいるだろうから
普遍的分類と思われがちだが
2021/04/18(日) 07:13:43.80ID:N93h4c/m
日本の純文学と大衆文学の違いは選考委員のメンツによって規定されていると言って間違いない
彼らをリスペクトした作品で有ればリスペクトした作家が選考委員している賞に与する文学
彼らを無視した作品は無視されるというね
2021/12/24(金) 22:15:29.91ID:k+IvUmWV
>>14
そうだと思う
古典に通じた人が書くと純文学
中国などでいう文人が書いたもの
そうでないのが大衆文学

だからと言って、純文学が優れているわけではないけど
2022/01/03(月) 11:14:46.14ID:G2ZnRTzY
問題提起をしても回答しない、読み手に任せる、伏線をはっても回収しない、読み手に委ねるのが純文学。答えは出ない、ドラマチックじゃない、完璧な人間はいない、それが現実だから。
問題提起に回答して伏線を回収するのがエンタメ。偶然の要素やご都合主義やチート設定や不幸てんこもりが多い。

 
548吾輩は名無しである
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2022/01/03(月) 11:30:46.26ID:W2MXB9xg
支離滅裂なことを並べ立ててもそれが美的鑑賞に優れてるなら文学(芸術)として成り立つ
純文学はたしかに天性の才能がいるだろうけど、エンタメのほうが作業量は多くなりそう
549吾輩は名無しである
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2022/01/05(水) 19:34:48.94ID:qb6/ZOIB
人間は本質的に神話と民話という2種類のタイプの物語を求める生き物だ。
世界中、あらゆる時代にこれは当てはまる。
これが現代の日本においては純文学と大衆文学として展開されている。
それだけのこと。
両者の違いはリアリティーがあることと、フィクションを前提としていること。
2022/01/07(金) 19:26:36.58ID:HIVAoWtx
>>549
神話にリアリティがあって、民話がフィクションだと
あんまり説得力ないですね
551吾輩は名無しである
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2022/01/09(日) 14:09:25.57ID:nsCPODeQ
>>550
チョット言い方が不味かったけど
神話は事実として語られるということ
552吾輩は名無しである
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2022/01/09(日) 14:21:02.04ID:Z/FAvUmE
大衆文学と純文学を対置させるなんてまだそんな古い価値観もってんのか
2022/01/09(日) 18:43:08.40ID:IJor9H2J
>>551
民話もそうなんじゃないの
554吾輩は名無しである
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2022/01/09(日) 22:39:49.23ID:nsCPODeQ
>>553
民話は違うだろ
昔々あるところにって感じで
ストーリーの面白さが主眼になってる
555吾輩は名無しである
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2022/01/10(月) 05:48:46.80ID:n5cycdkP
ウィキペディアで純文学を調べたら
英語版がない

これが実態
日本語にしかない概念

海外だとジャンル小説と普通小説が便宜上区別される感じかな
SFがカバーにサイエンス・フィクションとかかれ、普通小説がノベルとだけかかれるみたいな
2022/01/10(月) 09:17:17.77ID:2mQwGPo5
ストーリーを書けないやつが文章は上手いでしょと自慢したがるのが純文学
というイメージだな。
557吾輩は名無しである
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2022/01/10(月) 09:37:53.94ID:0kMYeCIV
物語とは関係ない文字の並びから垣間見える美しさが文学の本質だからね
2022/01/10(月) 15:14:57.36ID:HQmhC/xq
>>554
世界大百科事典だとこうなってて、オイラも同様の認識:

〈民話〉には口伝えという前提があるので,創作民話という表現は,自己矛盾である。民話が含む範囲を具体的にいえば,昔話のほかに世間話,実話が多少口伝えされた伝聞実話,神話・伝説・昔話の一体となった話(沖縄などに多い),歴史的事実のようだが確認できない話などである。 小沢 俊夫
2022/01/10(月) 16:08:11.78ID:aWEwPN5F
>>557
そんなものは文学の本質と関係ない。
560吾輩は名無しである
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2022/01/10(月) 18:54:23.94ID:ncVIJarw
>>558
小沢健二の父親なんだな
民話が専門らしから、全部入るように見えるんじゃないの
でもそれだと神話との違いが出てこない
2022/01/10(月) 20:08:52.02ID:as7cKxsU
>>560
神話には権威があるんじゃね
王家の起源とか、世界、国の起源とか
一方、民話はもっと周辺とか身近な出来事が基になってるかんじで、権威なく民間の伝承ってかんじ

どちらも何らかのもとねたはあると思う
562吾輩は名無しである
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2022/01/11(火) 13:13:49.42ID:nzNZ4DWN
神話は世界観・宇宙観を叙述する神聖なもの
民話は主に話の面白さを目的とする俗的なもの
563吾輩は名無しである
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2022/01/11(火) 17:53:53.55ID:i6Dkin3e
神話民話
そんなものなんの関係もない
なにトンチンカンなこと言ってるんだ
564吾輩は名無しである
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2022/01/11(火) 18:17:43.66ID:nzNZ4DWN
神話的なもの民話的なものを人間は普遍的に求めるものであり
それが現代日本では純文学大衆文学に対応するのではという仮説
565吾輩は名無しである
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2022/01/22(土) 09:34:13.29ID:aNIN6Pub
小説のセリフはどこか乾いた感じがする
ただの口述記録のような印象を受ける
それに比べて、ドラマは小説よりセリフに凄みがでるから感情移入しやすい気がする
文字の限界か
566吾輩は名無しである
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2022/01/29(土) 00:44:06.51ID:AYg7CgnW
純文学=文學界新潮群像すばる文藝に載るもの
大衆文学=それ以外
で問題ない

例えば、三島由紀夫が週刊新潮で連載した作品は大衆文学、新潮に載せた作品は純文学、
松本清張も新潮に載せた作品は純文学、小説新潮や週刊新潮に載せた作品は大衆文学、とすればそれで良い。
2022/01/29(土) 03:37:56.48ID:IOcPfB5n
純文学は売れなくても賞がとれればいい。
大衆小説は売れないと賞がとれない。
2022/01/29(土) 08:06:52.89ID:OPkiPylD
>>567
うまい
569吾輩は名無しである
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2022/02/05(土) 16:17:28.42ID:9acFBNg0
サリンジャーのナインズストーリーと
スティーブンキングの刑務所のリタヘイワースをどちらも原文で読んだけど、サリンジャーの独特の雰囲気のほうが勝ってる気がした
あくまでも個人的な意見
570吾輩は名無しである
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2022/02/12(土) 22:44:13.40ID:v54YW/KE
純ゲームとかはないし大衆ゲームとかもない
でも純文学と大衆文学の区別はある
時代による
571吾輩は名無しである
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2022/02/13(日) 10:14:14.56ID:KNB1nZXj
文章の芸術性を求めるかどうかの違いだけだ
572吾輩は名無しである
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2022/02/13(日) 10:18:01.92ID:zs5QoaK6
でも文章の芸術性を破棄してしまったら、
別に小説なんか読まずに漫画とか映画見てればいいんじゃねとは思う
573吾輩は名無しである
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2022/02/13(日) 10:39:51.30ID:ixhjn3xO
今は境界は曖昧になりつつあるけど
60年代くらいの混ざりぐあいはすごいな
三島由紀夫の春の雪みたいのがある一方で、
松本清張の黒い画集なんかもあるんだからな
同時代にあったというのがすごい
2022/02/13(日) 11:30:47.14ID:oFwec1ax
昔は帝大出が書く西洋化されたものが純文学
江戸からの流れのものが大衆文学だったろうから
575吾輩は名無しである
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2022/02/13(日) 14:05:50.14ID:m5rPe7Th
日本は西洋的近代文明を知識として取り入れたから
明治以降小説家や文芸評論家が知識人のトップランナーの位置づけだった
純文学をありがたがるのはその時の風習
2022/02/13(日) 15:13:40.51ID:oFwec1ax
>>575
だよね、オイラ的には漱石は知識も詩心も傑出してるけど、鴎外は知識だけの優等生に感じる
露伴、湖南あたりの西洋にあまり強くない人は評価されないのも残念
577吾輩は名無しである
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2022/02/14(月) 23:39:20.26ID:VMkB9pvQ
純文学という言葉を最初に用いたのは北村透谷だっけ
西洋の影響は否定できないね
西洋と漢籍の両方の教養を備えていたがゆえにかえって、鷗外漱石は西洋崇拝の終わった現代でもなお読むに耐えるのは皮肉
578吾輩は名無しである
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2022/02/20(日) 18:55:42.42ID:qp5FPUXP
松本清張は娯楽小説のなかに純文学的な要素をとりいれた最初の作家って書いてあったけどなるほどなと思った
579吾輩は名無しである
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2022/02/20(日) 18:57:48.62ID:qp5FPUXP
人は小説のなかに物語性を求めるのと同時に、人生に関わる重いテーマや文章の芸術性も求めるという強欲ぶり
580吾輩は名無しである
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2022/02/20(日) 19:30:17.83ID:lFZj3evM
>>578
清張は松本文学と言ったりする人もいるが
完全なエンターテイメントだと思う
581吾輩は名無しである
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2022/02/20(日) 23:36:29.82ID:v3znac7R
江戸川乱歩も最近岩波文庫に入ったりするけど、微妙だよね
たしかに初期作品は耽美派の意味で意欲的なのもあるけど、蜘蛛男以降は完全なエンターテイメントだし
2022/02/20(日) 23:55:10.33ID:btY8Q7Jz
>>581
陰獣は
583吾輩は名無しである
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2022/02/28(月) 14:52:07.87ID:g+SfVnkc
>>579

どっちもあればいいじゃない
物語の中に人間も社会的テーマも入っていて面白ければいいんじゃないの?
つまらないものを純文学だと保護する意味がわからない
2022/02/28(月) 14:54:24.09ID:g+SfVnkc
>>564

指輪物語などは一種の神話じゃないの?
585吾輩は名無しである
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2022/03/05(土) 14:56:32.71ID:IsUpL+j0
夏目漱石はやはりA型か
理想主義なところが彼を破滅させた
586吾輩は名無しである
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2022/03/05(土) 16:08:13.79ID:u6YdDrve
そもそも神話的な物ってどんな物なのか一ミリもわからん
なんかすごい物って感じで適当に言ってね?
587吾輩は名無しである
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2022/03/05(土) 16:12:57.17ID:u6YdDrve
>>585
漱石先生はおっしゃいました
文学の基礎は「善」「美」「真」「荘厳」「知的好奇心」の五つでてきてる
このうち善や知が強くなればエンタメ寄りとなり
美や真が強なれば文学寄りとなる
どんな三文小説でもその作者のものの見方を内包した文学作品であり
どんな一流文学でも読者を楽しませるために書いたエンターテイメントである
588吾輩は名無しである
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2022/03/06(日) 15:04:40.32ID:5+xaq55e
今はたとえば古事記などの神話でも事実と思うやつはいないから
逆に神話という言葉の意味自体が不明確になっているのだろうが
もともとは世界の始まりとか人間の誕生とか、人間とはなんなのかとかを
シリアスに伝えるみたいなものだった
というようなことはウィキでも分かると思う
589吾輩は名無しである
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2022/03/14(月) 23:59:58.21ID:tmYVLoDD
大衆文学は短期投資。今売れなくては話にならない。
純文学と言われるものは超長期投資。100年後に長く売れることが目的。
590吾輩は名無しである
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2022/03/15(火) 00:18:52.42ID:XEQDutf6
短期での利益回収を目的に投資するなら大衆文学で、
超長期での利益を目的に投資するならそれは純文学となる。

ちなみに文章の芸術性やら云々というのは、超長期での利益を狙うための手段にすぎないが、これを錯覚すると本質が見えなくなる。
ちなみに短期であれ超長期であれ、利益(ベネフィット)を全く考慮に入れない「文学」が存在した例はない。
そういう「文学」が存在すると信じているのは、得てしてロマン派の錯覚であり、転倒の産物である。
591吾輩は名無しである
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2022/03/15(火) 07:15:56.23ID:3xajk7nU
大衆文学は何が書かれているかが大事
純文学はどう書かれているかが大事
大衆文学は一回読んだら二度読もうと思わない
純文学はスルメのように何回でも読める
592吾輩は名無しである
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2022/03/15(火) 07:17:24.43ID:3xajk7nU
だからやはり純文学は教育に向いてるし学問に近いと思う
593吾輩は名無しである
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2022/03/16(水) 18:47:37.39ID:puXHqLB4
>>591
そりゃ単にあんたの好みだ
俺は大衆だろうが純文だろうが一回しか読まない
2023/02/05(日) 18:42:11.06ID:1PTOmLOR
>>591
むしろ話は逆で
純文学こそ何が書かれているかが大事、大衆小説はどう書かれているかが大事ではないかと思う
大衆文学はSF・歴史・ロマンス・ミステリ・ホラー等のジャンルの枠の中に収まる題材しか書くことができない
あくまでその枠内のバリエーションでしかないから何を書くかよりどう書くかが重要になってくる
595吾輩は名無しである
垢版 |
2023/06/27(火) 01:37:53.44ID:IeJX/sAq
New Century New Cinema
ひとはイメージという病にかかった
2009/01/15

ロッセリーニの『不安』は女を操って浮気をした妻を脅迫する夫という話で、
この「操作する」という点が共通していて面白いんですが、
後に出てきたファスビンダーやジーバーベルクらニュージャーマン・シネマの人々は
ヒトラー時代に人々を操っていたメディアの作り出したイメージを
批判するための映像を発明しなければならなかったということがあります。
フランスはもちろんヌーヴェル・ヴァーグがそれ以前の老人の映画を攻撃して出てきたわけですが、
今のフランスの映画批評がなお芸術という領域にとどまり続けている(笑)というところに問題があると思います。

問題なのは映像を見る側がいまだに芸術とか娯楽とかの古い枠内にとどまってしまって、
映像イメージを日常のツールとして誰もが使用する時代に我々がかかった
「イメージの病」について考えることから背を向けていることです。
それは映像イメージが意図的または非意図的に人を操る能力を仮にそう呼んでみたんですが、
かつての映画が持っていて今のテレビが行使している機能のように、
イメージが世界を覆ってその外側がないかのように思わせる操作や、
あるいはカップルの間、人と人との間にも過剰なイメージというものが介在していて、
互いの見方を固定しにかかったり孤独にさせたりするということがあります。
そういった諸々の操作から、見る側がイメージ自身の成り立ちを考えることによって
解き放たれることができるようにする現代映画は、
イメージの病に対する一種の処方箋とも呼べるものなんです。
©Akasaka Daisuke
596吾輩は名無しである
垢版 |
2024/04/06(土) 14:14:28.58ID:0m+VNDnW
公募ガイド
書くために学ぶ文学史4:近代文学の潮流 大正・昭和編(鈴木信一先
生インタビュー)
2024/02/22

明治維新とともに印刷技術が普及し、世は新聞創刊ラッシュを迎えます。当時、新聞には二種類あり、
大新聞は政論中心のインテリ向け、小こ新聞は大衆紙で、食いっぱぐれた読本作家や戯作者は小新聞で
活躍しました。最初は雑報を書いていましたが、のちにこれが新聞連載に発展、明治10年代の人気は毒
婦物と白浪物、つまり悪女と怪盗でした。
明治20年代は黒岩涙香の海外探偵小説翻案物が流行。尾崎紅葉の硯友社は小説大衆文学の台頭に娯楽性
を求めていましたが、涙香のせいで本が売れなくなり、探偵小説人気にあやかって『探偵小説叢書』を
出版、しかし、結果は惨敗だったそうです。
また、三遊亭円朝などの速記講談、立川文庫などの書き講談、講談倶楽部の新講談など庶民の娯楽が人
気を博し、なかでも明治44年創刊の講談倶楽部(現「小説現代」)は昭和10年当時、発行部数50万部と
いう怪物に成長します。
文学史で言う上の文学は、それまではこれら下の文学を別種のものとし、自分たちに対抗するものとは
見なしていませんでしたが、大正時代には純文学×大衆文学という構図ができ始めます。
大正15年、芥川龍之介は中央公論誌上で、「大衆文芸家ももっと大きい顔をして小説家の領分へ切り込
んで来るが好い。さもないと却って小説家が大衆文芸家の領分へ切り込むかもしれぬ」と言い、昭和10
年、横光利一は『純粋小説論』の中で「純文学にして通俗小説」の実現以外に文芸復興はないと説きま
す。
戦後は通俗性やストーリー性のない純文学はますます売れなくなり、各出版社は危機感を覚えます。
昭和22年、林房雄は「日本の小説を発展させる道は純文学と大衆小説の中央にある」と発言、久米正雄
はこれを中間小説と言い、日本初の中間小説誌『小説新潮』が創刊。『オール讀物』『講談倶楽部』も
中間小説誌になり、活況を呈します。
現在、中間小説という言葉はほとんど使われません。それは中間小説がなくなったからではなく、市販
されている小説の大半を占めているからかもしれません。
そして、中間小説の中には、今では純文学より遥かに重いテーマを扱ったものがあると言われていま
す。
597吾輩は名無しである
垢版 |
2024/04/28(日) 18:25:24.17ID:KhF981+/
現代ビジネス
2023.12.21
芥川賞作家・市川沙央さんが語った「結婚観」「大学へのコンプレックス」「日本の
教育」「理想の作家像」
市川 沙央 , 村嶋 章紀

市川:いわゆるキャラクター文芸というジャンルのものですが、

・世紀転換期ウィーン。建築家志望の伯爵令嬢が失踪した姉を探すうち、恩師の遺し
たオカルティックな設計図に絡み、昔マイヤーリングで死んだルドルフ皇太子を生き
返らせようとする諸民族独立連邦化構想カルト集団の企みに巻き込まれていく話。

・戦間期イギリス。かつてMI5に両親を殺されて拉致された公爵令嬢が正体不明の男
に救出されてスパイ教育を受け、嘘を判別できる共感覚を武器にドイツ諜報機関アプ
ヴェーアのスパイとなって母国に赴き過去の真相を探る話。

・ある日突然お前は天才人形師が作った文楽人形の生まれ変わりだと祖父から告げら
れた帰国子女の主人公(女子高生)。人形師の生まれ変わりらしい無口なくろごの少年
とともに各地に散らばって呪具化している人形のパーツを回収せよと命じられ……。
ラブコメ。

市川:怒りの作家のままでいてほしいというお声はちらほらいただいています。私、
もともとエンタメではハッピーエンドのラブストーリー専門だったんですけどね。
(笑)あれはスピーチに恨み節で起伏をつけてからのポジティブな〆はやっぱりラヴだ
ろうと思いまして……。ただ「愛の作家」は難易度が高いんですよ。芸術性と愛は両
立が難しく、通俗の烙印を押されがちなので。だから将来的にはその難しいことをや
るんだという、向上心が込められています。

市川:作風はオールラウンダーを目指したいです。また、難病・障害者というと命を
削ってとか燃やしてとか大袈裟な形容がつくイメージもありますが、削らず燃やさず
普通にやっていきたいです。
598吾輩は名無しである
垢版 |
2024/04/29(月) 08:26:37.89ID:EV6cBIAq
599吾輩は名無しである
垢版 |
2024/05/07(火) 01:15:51.14ID:PdarszJN
「直観を磨くもの ―小林秀雄対談集―」[小林秀雄ほか著, 新潮文庫]
 「例えばフランスですと、近代になっても文学運動の先端を切るとか、革新的なことをやる
とか、そういう事は詩人がやった事が多いのです。二十世紀になってもそうなのですが、日
本では外国文学が入って来て詩人の権威というものが近代文学の中になくなって了ったので
す」
 「だから文学の先端を切るのは小説家という事になった。ところが小説という形式は、もと
もと社会的な大衆的な形式なのだから、そこにいろいろ日本独特な動きが現れたわけです。
純文学と大衆文学との異常な対立という事も日本でなければ考えられぬ現象です。日本で
は、文学の指導性というものを小説家が握っているという事になったから、そうならざるを
得んのです」
 「純文学なんていう言葉も妙な言葉です。純文学運動は小説の運動というより、寧ろ西洋流
に言えば詩の運動なのです。小説の形式で詩を書いているのです。それが日本の純文学」
600吾輩は名無しである
垢版 |
2024/05/18(土) 09:26:04.56ID:pnsBh89n
ヒラメとカレイほどの違いもない
601吾輩は名無しである
垢版 |
2024/05/18(土) 09:37:11.44ID:P24s3d2Y
>>直観を磨くもの ―小林秀雄対談集―

純文学では詩の直感的な部分の比重が大きいことは確かで、それだけに分かりにくい面はある。
それを大衆にも分りやすく書けば大衆文学になるではないかと思われるかもしれないが、
現実的には難しい。
詩がある程度分るというのは一般読者の間での一つのステータスになってる面もあるから、
「純文学は難しいから良いのだ」という読者も多い。
602吾輩は名無しである
垢版 |
2024/05/18(土) 17:42:29.82ID:wDUiJAEi
オレが読むのが純文学

おまえら底辺が読むのが大衆文学
603吾輩は名無しである
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2024/05/20(月) 15:57:28.13ID:D+w4/Qb8
私も以前は純文学こそが「真の文学」だと思ってたけど、実際に色々な作品を読んでみると、大衆文学にも奥深い作品がたくさんあることに気づいた。それに、エンターテイメント性のある作品だって、人を感動させたり考えさせたりする力があると思う。だから、私は今はジャンルにとらわれずに、面白いと思った作品を読むようにしてる。
604吾輩は名無しである
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2024/05/27(月) 13:00:29.82ID:wMR8hAUy
純文学は、芸術性を追求し、人間の深層心理や社会の複雑さを描き出す作品と言えます。まるで静寂の森の奥深くにある泉のように、読者を思索の世界へと誘い、深い味わいを提供します。代表的な作品としては、太宰治の『人間失格』や芥川龍之介の『羅生門』などが挙げられます。

一方、大衆文学は、娯楽性を重視し、ストーリー展開やキャラクターの魅力で読者を魅了する作品と言えます。まるで都会のネオン街を流れる川のように、軽快なテンポで読者を物語へと引き込み、爽快な読後感を与えてくれます。代表的な作品としては、東野圭吾の『容疑者Xの献身』や湊かなえの『告白』などが挙げられます。
605吾輩は名無しである
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2024/07/25(木) 10:34:21.84ID:gDrwO1kS
純文学:
芸術作品として読む小説: ストーリーだけでなく、言葉の美しさや、作者の考え方を深く読み解くことを楽しむ小説。

教科書に載っているような作品が多い: 夏目漱石や芥川龍之介の作品が代表的。

読者よりも作者の表現を重視: 読者にわかりやすく書こうというよりも、作者の考えや世界観を表現することに重きを置いています。


大衆文学:
娯楽として読む小説: 面白いストーリーや、ハラハラドキドキする展開を楽しむ小説。

ミステリー、恋愛小説、ファンタジーなど、いろんなジャンルがある: 読者が楽しめるように作られている。

読者の興味を引くことを重視: 読者に楽しんでもらうことを第一に考えて書かれている。
606吾輩は名無しである
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2024/07/25(木) 15:28:52.43ID:nkcXEYag
こんなの簡単
事実・現実としてあったあるいはあるであろう出来事として語られるのが純文学
嘘・非現実を前提として語られているのが大衆文学

ちなみにこれは神話学における神話と民話の定義と重なっている
つまり純文学は形骸化した神話の現代版と言えるのかもしれない
同様に後者も民話の現代的延長なのかもね
2024/07/27(土) 23:03:12.74ID:QDcDg/gb
大塚清六(1923年8月18日 - 1974年6月5日)は、日本の画家、
イラストレーター、装幀家、グラフィックデザイナー。先駆的なミニマリストとしても
知られる。

以後、藤原審爾、高木彬光、島田一男、大藪春彦、五木寛之、笹沢左保などの小説の挿絵を手がけ
るようになったが、なかでも大藪春彦とは彼が初めての長篇小説「血の罠」の連載を開始した
1958年から1973年まで断続的にコンビを組んだ。

20世紀日本の画家
日本のイラストレーター
日本のグラフィックデザイナー
日本の装幀家
東京芸術大学出身の人物
福島県出身の人物
シンプルライフ
608吾輩は名無しである
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2024/07/28(日) 21:56:15.00ID:+uvxmZW/
>>606
純文学と大衆文学、神話と民話の関係性は面白いですね。純文学が形骸化した神話に似ているというのは、個人の内面や社会の矛盾を深く掘り下げる点で共通しているのかもしれません。大衆文学が民話に当たるなら、人々の願望や恐怖を投影し、語り継がれる物語の形をとっていると言えるのかも。
2024/08/09(金) 21:44:54.14ID:cmAkz4g+
粟谷佳司
小説を読むのがあまり得意ではなくて、それは字が多いから情報が多く、
話の流れはあるものの読解に正解がないからかもしれない。むしろ推理小
説が好きで、それは伏線が回収される計算された物語だからだと思った。
それにしても、文体の好みとかエンタテインメント要素もある純文学は好
きだったりする。しかしオーウェルはすっきり理解出来たとは言い難い。
2024年8月9日
610吾輩は名無しである
垢版 |
2024/08/18(日) 19:30:21.27ID:kCPiBb84
>>609
で、引用したあなた様のご意見は?
2024/08/19(月) 04:32:49.59ID:8dOpj4ha
>>609
粟谷さんの読書の感想、共感するところが多いです!推理小説の計算されたストーリー、面白いよね。でも、純文学も好きってところも意外で、奥が深そう。オーウェルは難しかったって話、私もそう思うかも。
612吾輩は名無しである
垢版 |
2024/08/21(水) 21:51:59.50ID:s3xGsIK5
>>580
同意。でもそれは清張の作家としての価値を全く減ずるものではない
613吾輩は名無しである
垢版 |
2024/08/25(日) 08:30:14.21ID:BFZ+y9yi
詩的な要素も鍵だろうな。
純文学は詩的な要素が強い。それが難しさを帯びて読み手の感性を問う一端にもなっている。
川端の作品の多くは「眠れる美女」の様な西洋的な構成の鞏固な作品もあるが、小説の形をした神経質で繊細な詩だ。ノーベル賞受賞時には本人はやんわりと否定していたが、和歌や連歌との関連を指摘されたりもしていた。
三島の作品の多くも、その格調高い理知的で絢爛な文体の効果も相まって詩の様な美しさがある。「金閣寺」「豊穣の海」等々
鴎外の簡浄な気品と強さは、そのまま当時の教育の下地に多く残っていた漢詩、漢文の素養に依る所が大きい。
昔の日本文学者が持つ独特の風趣は中国、日本の古典に通じている所に源がある。
興味深いのは谷崎。肌色が違っていて、古典の教養を踏まえた純文学の香りを纏いながら稀代のストーリーテラーで大衆文学の顔、愉しさも覗かせている。江戸の職人的な戯作者の生き残りの様な佇まいがあった。
614吾輩は名無しである
垢版 |
2024/08/26(月) 14:39:24.79ID:uLFxHMiN
中村光夫「ある小説が芸術(純文学)と呼べるかどーかは、主人公が人間典型の域に達しているか?
     それとも類型の域を出ていないか?によります」
いたって簡単なこと、ついでに
小林秀雄「現代の小説を読んでいると、いかにもいそーな人物ばかりだが、この人達の一体どこに
     魅力があるのか?小説の読者はどこにでもいるよーな人物を求めているのではない
     この人でなければいけない、そーゆー人物を求めているのだ」
ここにリアリズムの問題が生じてくるのだ、「リアリズム」意外と解っていない人が多い
島田雅彦の『優しい左翼のための嬉遊曲』だっけ?読んだ人は知ってると思うが
アホみたいなことを書いてある、リアリズムのかけらも無い、出版社もどーかしてる
三田誠広の『僕の打ち明け話』となると小学生並の作文、読み返して恥ずかしくないか?
たかが芥川賞を貰ったくらいで世の中のことを何でも解ったよーな書きっぷり
べつに島田や三田を個人的に攻撃するわけじゃない、そもそも興味が無い
ただ、解りやすい例としてあげただけだ、もっと適当な例があればそっちにした
では、「リアリズム」とは何なのか?詳しく解説するともっと長文になってしまうので最後に
小林秀雄「好きなモノを好きと言う、それがリアリズムだ」
615吾輩は名無しである
垢版 |
2024/09/01(日) 23:45:37.66ID:agMfpKJJ
純粋哲学であるデカルトやカントと上司のカーネギーやロックフェラーの人生哲学の違いのような。成功に執着があるか無いか。どちらも大事。
616死狂幻調教大師
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2024/09/01(日) 23:48:42.25ID:agMfpKJJ
現象学の()の中が純文学で外が大衆文学。中と外は還流する。
617死狂幻調教大師
垢版 |
2024/09/01(日) 23:51:50.07ID:agMfpKJJ
純文学はすべての文学を否定しても残るもの。大衆文学はすべての文学を肯定して包含したもの。が良い作品。
618死狂幻調教大師
垢版 |
2024/09/01(日) 23:53:26.76ID:agMfpKJJ
極にブレるほうが文学界の交流にいい。
619死狂幻調教大師
垢版 |
2024/09/01(日) 23:54:27.94ID:agMfpKJJ
芥川賞と直木賞を思い出してみて。
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