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【旅する】乗代雄介【練習】

1吾輩は名無しである
垢版 |
2021/05/13(木) 03:16:52.69ID:kBHhUtXt
語り合いましょう
2025/03/31(月) 07:39:53.91ID:J9N9eu/P
「無意識的な思想転向」? こいつは何をいっているのか、よくわからんな
乗代に思想なんてものはもともとありはしないだろうに
最初から今までずっと文学性の追求しかしていない
町屋って、高卒でコンプレックスがあるのか、批評を意味不明にしたがる
2025/04/01(火) 19:18:41.55ID:Z5mqqaVT
「私」と「シミュレーション」
Shun Fushimi 伏見 瞬
2024年10月1日
青木の手前には保坂という小説家の存
在があり、保坂は町屋にとって強い影響力を及ぼしている(ちなみに、この
文を書いている私にも及ぼしている)。保坂の批評性をズラすかたちで批評
を示し、小説家としての自らを救い、「小説を信じること」に向かわんとす
る。以上が町屋の論の骨組みだ。

 町屋は「権威かセールス力のどちらかを持っている作家のみが真の意味で
自由に作品を書ける状況になってしまっている」という小説の現状に対して
批判を示しているが、 私はここでいう「真の自由」が何なのかを了解でき
ない。
2025/04/01(火) 19:19:38.26ID:Z5mqqaVT
倉数茂
・だからこそ、この時期出てきた若手は、社会的意義やメッセージ性を背負うこ
となく、奇妙で新鮮な形式を発明していった。柴崎友香、青木淳吾、磯﨑 憲
一郎などはそうして出てきた作家だと思う。
・保坂和志の小説論はそうした態度を理論的にバックアップした。
・しかし逆説的なことに、そうした若い作家の活躍が、純文学という危機に瀕し
たジャンルを再構築した。2010年代には、文学はマイナーではあるものの、価
値ある文化領野であるという立場を安定させた。一時期期待されていたラノベ
と純文学の融合という路線は放棄された。

・それがジャンル(≒業界)の自己防衛のプロセスであり内向きの「閉鎖的な
コミュニケーション」(矢野)であったのも確かだと思う。無論それで柴崎や磯崎
の作品の素晴らしさは揺らがないが。
・今その系譜を一番ダイレクトに引き継いでいるのは乗代雄介だろう。乗代が
ブロガー出身であるというのは重要である。ゼロ年代のブログ文化は、ニッチでマ
イナーで奇矯な趣味という点で純文学とよく似ていた。乗代が現在一番「純文
学感」のある作家である所以だ。
2025/04/01(火) 19:20:19.58ID:Z5mqqaVT
・それが貴重で重要なものであることを前提としても、保坂の小説論に、「読む
/書く」という経験を他のあらゆる領野・社会から切り離し、個人の生そのもの
であるかのように超越化(宗教化)していく部分があるのは明らか。「悪いこと
には、この《小説》表現としての固有性の擁護と「文学」の権威性の擁護が重
なって見えました」(矢野)。

・最近保坂和志の小説論をまとめて読んだのだが、やはりこれは劇薬であり、
技術論や読書論の枠を超えて、独特の思想であり哲学なのだと思った。
2025年2月1日
2025/04/02(水) 09:26:01.52ID:d+WVS1cV
現在、40歳未満の純文学作家では、乗代雄介と九段理江が双璧といえる
この二人は小説の正当派を受け継ぐ作家として貴重だ
2025/04/03(木) 01:13:40.18ID:nQWe94O7
サントリー学芸賞
芸術・文学2023年受賞
菱岡 憲司(ひしおか けんじ)
『大才子 小津久足―伊勢商人の蔵書・国学・紀行文』
(中央公論新社)
1976年生まれ。

 執筆中、そんな私の背中を押してくれる出来事があった。ひとつは、新進気鋭の小説家で
ある乗代雄介さんが『皆のあらばしり』を発表されたことである。なんとその現代小説は、
高校生と謎の「男」が、小津久足の幻の紀行文『皆のあらばしり』を探し求めるという内容
であった。拙著『小津久足の文事』や『陸奥日記』をはじめ、人文学の成果をふんだんに取
り入れて、談義本を思わせる会話劇を主体に小説化する姿勢に、学芸と文芸、研究と創作が
不可分であった江戸時代の文事を見る思いであった。
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