45年8月三島はドナルド・キーンを下田に招いた
以下キーンの著書「声の残り」より引用

その晩、彼は、一気に書き上げたという「豊饒の海」の最終章の原稿を私の手に置いた。
私はその時すぐにはそれを読まなかった。
しかしそのことで私には後で分かったことがある。
つまり、三島自決の日、彼が陸上自衛隊の東部方面総監室へ向かって出発する直前、
その原稿に「昭和四十五年十一月二十五日」と、その日付を打ったのは、
事実と違う、一つの象徴的行為だったのだ、ということである。