文学としてのビジュアルノベルゲーム
ギャルゲー、エロゲー、美少女ゲーム、サウンドノベル、etc……。
様々なサブジャンルを内包する「ビジュアルノベル」というゲームジャンル。
ゼロ年代の一時期にはオタク系文化の中心コンテンツとも目され、批評的な観点からも注目を集めた。
実際、いわゆる「葉鍵」モノに象徴されるような、重厚なストーリーを特徴とする作品の中には、もはや文学といっても遜色ないものが存在する。
そんなビジュアルノベルゲームの可能性を今、改めて文学的に考察してみようではないか。 Fateは文学
AIRは芸術
CLANNADは人生 エロゲー論壇っての?
ゼロ年代に流行ったよね
「Kanon問題」とかのテーマで夜通しネット上で語り合った昔が懐かしいw エロゲの有名作品をいくつかやってみたけど、純文学や前衛的な現代文学とクロスオーバーを自覚的に試みているような作品は存在しないと思う。
文学的に頑張ってるエロゲ作品って海外のハードSFやハイファンタジー、日本のミステリの新本格(特に京極夏彦とか)等を美少女とのセックスや俺TUEE!系の中二病設定などの砂糖菓子でコーティングした劣化コピーという印象だった。
むしろ当時、文学に対して真面目でストイックなオタクはエロゲの作り手やユーザーを見下す傾向にあったと思う(故・伊藤計畫とか)エロゲのイラスト等ビジュアル方面にしてもハイエンド系に影響を受けた世代のhukeなんかは自身のブログで「エロゲからは絶対に影響を受けない」と拒絶の意思を表明していた。
そう言った事実から意識の高いオタクはハイエンド系ブームを支持し、エロゲブームは絵が理解できない低リテラシーなヌルいオタク達のなんちゃって選民思想表明で正解だと思う。
ただKeyのAirとかは文学的にポンコツで稚拙過ぎて逆にアンチ文学としてものすごい凄みを持ってしまった作品のような気がする(映画で言うと塚本晋也の初期作品のような)。
大多数は無垢で純粋な美少女が死ぬ単純明快な感動ポルノなプロットで泣きながらオナニーするような豚野郎だったと思うけれど、ヒロインの名台詞「永遠はあるよ」を始めとする要所要所の演出により稚拙ないたる絵のグラフィックを映し出すパソコンモニタの向こう側に永遠を見出してしまうナイーブな性格で高リテラシーなオタク層である沙村広明や西E田がいたのも事実だ。
ただこれはヌルオタですらない俺の独断と偏見なので。 田中ロミオがシナリオ書いた『CROSS † CHANNEL』とか『最果てのイマ』あたりはけっこう文学してたように思うけどね
あと丸戸史明の『WHITE ALBUM2』
単なる三角関係的恋愛のドロドロをテーマにした作品というだけでは収まりきらない何かがあると思う なんでもメタに持ってくようになっちゃったからつまんないんだよな エロゲでエロおざなりにして話に走ってるのは嫌いだわ
エロゲなんだからエロを第一目標にしてくれ とりあえず東浩紀の『動物化するポストモダン』と『ゲーム的リアリズムの誕生』は読んどかんと話にならんな
ビジュアルノベルの文学的可能性や哲学的考察といったものを深めたいのであれば、この2冊はそのベースとなる必読文献だ
その東浩紀が昔、制作した『美少女ゲームの臨界点』という同人誌があるのだが、これは現在非常に入手困難だ
そしてそれを引き継ぐ形で後年、坂上秋成が制作した『ビジュアルノベルの星霜圏』という同人誌、これもまた現在では入手困難となっているが、
いずれもこのスレのタイトルのような方向で考察を深めるに当たっては是非とも読んでおくべき文献だ
願わくは『臨界点』『星霜圏』に続く3冊目の登場が待望されるところではあるが、状況的にもう難しいかもしれない ビジュアルノベルという、小説とは大きく違うメディアのはずなのに
もっぱら内容(物語)面しか論じてない批評がほとんどだな
物語はもちろんだが、ビジュアルノベルゲームとしてはさらに物語を演出する映像やBGM、声優の演技、
キャラの立ち絵や1枚絵の差分の使い方など様々な要素も伴ってこそなのであり、
ビジュアルノベルの文学的可能性を探るというねらいで批評する以上、
それら全ての要素を総合して論じるべきなのではないかと思う ひぐらしなんかそれだな
あれは名作だと思うが音楽や演出の効果が馬鹿でかい 同意だわ
さんざん酷評された次作のうみねこも、音楽や演出面では鳥肌レベルの凄さだった 今は亡きthen-dさんがまさにこの方向でギャルゲーにアプローチしていたな
ギャルゲー評論の同人誌も数冊出してて(永遠の現在、恋愛ゲームシナリオライタ論集、恋愛ゲーム総合論集)、どれもハイレベルだった
病気で早逝されたのが悔やまれる 坂上秋成さん(ssakagami)を中心としたつぶやき 美少女ゲームの突破口・エロゲ論壇について
https://togetter.com/li/47611
↑エロゲーやギャルゲーを「文学」や「批評」のタームで語る場合に留意しておくべきことが網羅されていて参考になる
文学や批評の観点で考えることの大切さを当事者(エロゲー・ギャルゲーオタ)たちにも理解してほしければ、それなりに努力しろと
一方的に難解な用語や概念を押し付けておいて反発されると「お前らは内輪に閉じてる」と逆ギレ
甘えるなと >>9
コンシューマ機への移植に際して、エロ要素を抜いた形でも十分に成立している作品も珍しくないことを考えるなら、
物語性重視の作品においてはエロは必ずしも必須要素ではないということが分かる
見方を変えれば、同じエロゲーでも俗に「抜きゲー」と言われるような性質の作品と、
物語性重視の作品とでかなり明確な役割分担が進んでいるということだと思う
(後者をもはや「エロゲー」と呼ぶべきなのかどうかはまた別の問題としてあるが) だったら最初からコンシュマーで作ればいいんじゃね
本当はエロなんて糞なもん作りたくないけど売れるためにはしょうがなく
みたいなのが一番むかつくわ メイドインUSAの作品だけど『ドキドキ文芸部!』は
ビジュアルノベルという形式ならではの可能性に挑戦してる意欲作って感じがした 村上裕一著『美少女ゲームの哲学』
http://sniper.jp/008sniper/00849philosophy_of_bishojo_game/
東浩紀のゼロアカ道場で優勝し、講談社BOXから『ゴーストの条件』を上梓した村上氏による美少女ゲーム批評
完結せずに途中で連載が中断したままになっているのが残念だが、内容は面白い >>19
日本産の中にもすでに『君と彼女と彼女の恋。』(通称「ととの」)という、その系統の作品が存在するぞ
発売もドキドキ文芸部よりはるかに前だ
個人的にはドキドキ文芸部がやった試みは既に「ととの」がほぼ先取りしてる >>8
たぶんその反動でWHITE ALBUM2のようなベッタベタの物語回帰な作品(ゲームシステム的にもむしろ退化している)が好評を博したんだろうなって思う ビジュアルノベル(英: visual novel、ヴィジュアルノベル)
バーチャルYouTuber(バーチャルユーチューバー、英: Virtual YouTuber) わく
自分もinstagramを熱心に見ているわけではないから、フォロー
している人を元にした仮説でしかないのだけど、自撮りをしな
いで旅行先の鄙びた旅館や廃墟などを訪れる人のツイートを見
ていると、結構な割合で根本はつげ義春だったりするんですよ
ね。
つげ義春の漫画を読んで共感して、鄙びた旅館を旅している人
が結構いて、Twitterでもかなりのフォロワー数だったりする。
そういう人が純喫茶や町中華や大衆食堂を訪れて RTされ、エモ
の対象としても定着していく。
村上春樹→泣きゲー(麻枝准)やセカイ系(新海誠)→三秋縋などの
青春ライトノベルという流れと、つげ義春→廃墟ブーム→ワン
ダーJAPAN→旅行系Twitterアカウントという、2000年代までは
別々の流れが、2010年代に「エモ」という言葉の下で合流した
と捉えることが出来るのが面白い。
2023年7月31日 あお
動画とは無関係だけど。
政治を話すのもゲームを語るのも社会問題に触れるのも映画や音楽を語
るのもびっくりするほど美少女アニメアイコンのひとSNSで多いなーと
は思ってる。ほとんど中身男性なんだろうなとは思うが。っていうか、
中身が女性だと知ってる相互さんで美少女アイコン1,2人くらしか知
らんな…。でもそれ大抵、プロのイラストレーターさんが自作してるの
でそっちは「美少女アニメ」が趣味や擬態なのではなくお仕事の宣伝兼
ねてるんだよねぇ。
2024年2月24日