実験的であったり、より難しいと思われる作品に人は高尚さを感じる面もあり、それに取り組む自分に満足を見出す人もいる。
ある意味、知的な娯楽であり、それを楽しむ読書家を否定はしないし、そこから新しい分野も生まれるかもしれない。
このタイプの人は通俗的な作品を嫌い、下に見る人も多いが。
いかんせん少数派なので、この手に好まれる作品は読まれなくなる。(ジョイスの「フィネガンズ・ウェイク」等)

谷崎や鏡花、G・マルケスなどの素晴らしさは、
常に片足を必ず娯楽(読み手を愉しませる)に突っ込んでいる所だ。それでいて芸術的な質を併せ持つ。
フォークナーは難解な作家と言われるが、元は通俗的なシナリオなども書いていた人で、後に名を馳せる作品群にも、南部の土着の業に呪われた人間達が織りなすドラマ、野卑や排他的な差別、暴力に満ちたストーリーテリングの魅力が基調にある。
今読んでもアメリカの根本的な厄災である、地域性、人種のるつぼが織りなす分断や混沌に通じていて、鮮度が落ちずに示唆に富んでいる。
偉大な作品はいつの時代にも嵌ってシンクロしてしまう普遍性がある。