鎌倉蛮族テイストの島津と言えば、西南戦争が終わるまで、島津領の薩摩、大隅、日向では浄土真宗は
邪宗として禁止され、見つかったら一族郎党は拷問の末に火炙りだった、と聞くな。
そのために、カヤカベ教のような宗教まで、島津では発生したとか。
何でそこまで、島津では、浄土真宗は禁圧されたのか、不思議で仕方ない。
仮にも浄土真宗の総本山と言える本願寺、大谷家は、皇族の娘が嫁ぐ位の家格なのだが。
源頼朝の末裔を自称する島津家にしてみれば、大谷家等、下郎、という存在だったのだろうか